西川美和さんにゆらされて。
邦画に関して景気の良い話が伝えられた。『今年の興業収入、邦画復権で洋画と逆転も』という記事。1985年以来、邦画は洋画に押されてずっと低迷していた。ところが今年は興行収入で洋・邦が逆転するのではないかと予想されている。
もちろん「ゲド戦記」(興行収入76億円)や「海猿」(70億円)といったヒット作に恵まれたからなのだが、邦画と洋画のシェア逆転に若い人の日本化を見るか(それもあるだろう)、才能の開花を見るか。
わたしは大きな才能に注目した。日本映画の系譜をたどる、人間の深層を描く才能である。それは『ゆれる』の原作・脚本・監督の西川美和さん である。
【勝手にアドバイス Vol.75 西川美和さんにゆらされて】
前から雑誌などでその存在がずっと気になっていたのが西川美和さんである。ぱっと見は「かわいい女の子(32歳にみえない)」だが、2006年7月に公開して いまだロングラン公開中の映画『ゆれる』の原作、脚本、監督を務めた(11月26日現在、都内では渋谷でレイトショウしかない)。
なぜ気になっていたかはっきりしないが、何か凄い人だという直感が働いた。実はわたしはまだ映画を観ていない。片手落ちもいいところだが、原作本読者からの視点という点でご容赦ください。
西川監督
目にしたいくつかの記事やエッセイの、彼女の見た目の女性ぽさと、人間の深層を斬る才能にギャップがあるという話ゆえなのか。ずっと気になっていたが、先日『ゆれる』には書き下ろし小説があると知ったその日に本屋に行き、見つけて買った。一気に読んだ。ゆらされた。とてつもない才能だと思った。今年の芥川賞が誰だったか知らないが、メジャーな賞はいかに才能を見出せないものかと思った。2年ほど前の舌がスプリットする話はつまらなかったが、『ゆれる』の原作は心を揺さぶるには、映画の主演のオダギリジョーに「監督の才能に嫉妬する」と言わしめたが、そのものだった。
30歳の女性が、人間の心の闇、ゆれをここまで描けるのか。これなら日本映画が復権しないわけがない、そう思った。
【『ゆれる』のざっくりあらすじ】
主人公は、オダギリジョー扮する、故郷を離れ都会でカメラマンとして成功した弟・猛と、香川照之扮する、地方で実家の商売を継いだ実直な兄・稔。この対照的なタイプの兄弟の関係が、幼なじみの智恵子の死を契機に形を変えてゆく。その過程が、深く鋭い洞察力をもって描かれているのだ。
Movie Noteより。 http://www.cybercrea.net/culture/note_060627_01.htm
とてもざっくりだが、これ以上はやめておこう。書き下ろしは8章だてで、各章が登場人物の語りという形式で物語の経緯、推移を描いている。映画のフラッシュバックが積み重ねられる構成である。わたしが特にゆらされた部分を原作から書き出してみたい。
<第一章 猛の語り>
洗面器から顔を上げた母は、棒立ちになっている俺の姿に気づいた途端、嘔吐の息苦しさとはまた別の赤みをその頬にぱっと浮かべて、ごまかすようにえへへと笑ってみせた。遣り切れない時に限って笑って見せる。そんなのばかりを見て育ったような気がする。
兄の方は俺のことを、いつもどこかで羨んで、眩しそうに見つめてくれているものと思っていたし、それを望んでいた。永遠に。けれど、もう兄は、兄のサイズに合った牙城を築き、その中で、本心から満ち足りて、ていねいに暮らしているのだ。
<第二章 智恵子の語り>
うそです。実を言えば、誘ったのは私の方なのです。蜘蛛のようにかしこい罠を張って、おびきよせたのです。(猛を)
(稔を見て)この人は、私だ。おとなしい驢馬のような顔をして、こころに鬼を飼っている。
<第四章 猛の叔父の修の語り>
彼女(再婚相手の妻)は立派な奥さんになる気なんてさらさらないらしく、外食や店屋物もしょっちゅうだし、僕の仕事の話もほとんど聞いては来ない。(中略) でも不思議なことに、彼女が「よく出来たお嫁さん」でいてくれないお陰で、僕は自分の家庭を顧みる男になった。
猛はやはり、僕と同種の人間なのかもしれない。信じるものがあるのではなく、欲することがあるだけだ。そして時に立ち止まることがあると、僕らはそんな自分に戸惑うのだ。
<第五章 猛の語り>
でも暴発した火種は悪意や狂気ではなく、兄本来の誠実さなのだ。恐れるに足らない。けれどまた同時に、それだけの爆発力を持つほど、その誠実さは厄介なものだということだ。
兄の中で暴発したのは実直さや誠実さなんかじゃなかった。そんなのは、俺の希望に過ぎなかったんだ。看板の裏側にあったものは、紛れもない怒りだ。マグマのように、何千度にもなるまで煮え続けた俺に対する怒りが、濁り、よどみ、悪意を生んでしまった。
ゆれる兄弟。
わたしには兄がある。性格は『ゆれる』ほどかどうかわからないが、職業・経歴も含めてかなり違う。最近久しぶりに会ったときに、兄のある世慣れた行動を知り、いくつになっても世慣れない自分との隔たりを感じた。性格の違いだから、と言って済ますこともできるが、むしろ人間が中年まで生きたときの変化とは、残酷なものであると思った。
だからなのだろうか。西川美和さんに余計に揺らされたような気がしたのは。
【西川さんの物語を創る動機】
西川さんの凄さは、自分の心を追い詰め、生の人間を描こうとするところだ。この映画のストーリーのベースは、西川さんが見た悪夢だったそうである。
「自分が見た悪夢を、自分の中で何回か咀嚼してみて『これはネタになる』と感じました。それで忘れないように頭の中で反復して、その晩、腰を落ち着けて書いてみようと思ったんです」
引用元(同上)
別のところで西川さんはこう語っている。「物語を作ろうというきっかけは、自分自身の裏側から出てくるものです」。
http://www.campusnavi.com/jcfmovie/jcfmovie_7th/intv/7th/06/06_nishikawa.html
人間誰でも「自分はこうありたい」という面を普段は出している。ところがあるきっかけから、そうした自分ではない嫌な自分の部分が露わになる。深いところにはそうした自分があることは薄々感じていたが、あるきっかけで(『ゆれる』の場合は兄からの一本の電話から)どぉっと奔流のように出てしまう。制御できなくなる。自分と露わになった自分が混濁する。そこが西川さんの人間表現の核になっているようだ。
【西川さんの立ち位置】
学生時代はひねくれ者だったそうで、大学の自主映画サークルにも入らず、ひとりでできることを探していたという。それが写真だった。写真なら撮影して、プリントするまで一貫して自分の表現ができる。ところが写真は言葉を持たない芸術だから、もともと言葉を綴ることにこだわりがあった西川さんは好きだった映画の道に入ろうと思った。そして大学在学中に是枝裕和監督の映画(『ワンダフルライフ』)のスタッフとして参加した。
助監督をしても、自主制作映画さえ撮ったことがないので、業界の専門用語も段取りもわからない。
映画監督はすごく大変な仕事で、40人も50人ものひとつの組の長であり、作家であり、芸術家でありつつ、人とのコミュニケーションをとっていかなければいけない。これは自分には荷が大きすぎるし、自分は演出家じゃないなと思いました。というのは、これまでにつかせて頂いた監督の演出の方法を見ていても、いいとも悪いとも、あまりピンともこないし、文句も出てこない。文句が浮かばないってことは、監督としての才能がないのかもしれない、やっぱり向いてないなって思ったんですよ。
引用 同上
だがこれは謙遜。クランクインの1年近くも前に、オダギリジョーさんに脚本を渡して、早川猛像をどう演じるか考えさせるところは演出家としての計算を感じる。
兄弟と脚本家兼監督。
オダギリジョーは素敵である。
そんな彼女だったが、「唯一脚本を読む時だけは、なんでこういう下手なト書きの書き方しかできないんだろう、なんでこんなリアリティのないセリフを書くんだろうっていう文句が浮かぶんです。そこに我が出るということは、私はそこに向いているんじゃないかって」思った。
西川さんの立ち位置は「脚本」である。「セリフ」なのである。どおりで『ゆれる』の語りに凄みがある。わたしが映画『ゆれる』をまだ見ていない言い訳ではないです。
【邦画の興隆の予感】
80年代後半から90年代にかけては洋画の大作、話題作の時代だったが、ここ数年、西川さん以外にも日本人の若手監督が出てきた。シネコンだけでなくミニシアターも増えてきた。映画という表現メディアの復活とともに恐るべき才能が集まりつつある。邦画はようやく氷河期を抜けた、そう思った。
今日は以上です。ではまた明日。Click on tomorrow!
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コメント
はじめまして~。永岡と申します!
「ゆれる」に書き下ろし小説があったとは知りませんでした!探してみます、ぜひ!わたしは映画の方をずいぶん前に観てレビューを書きましたが、先週の土曜日調布の映画館の閉館記念上映で「ゆれる」をとりあげていたのでそのレビューをブログにアップしたところでした!小説探してみます。ありがとうございました。
投稿: 永岡菜穂 | 2011年9月12日 (月) 21時36分