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2007年8月 1日 (水)

わかりやすさが命 3.わかりやすさシンドローム

わかりやすさが命ではあるが、わかりやすさがアダになることもある。わかりやすさをテーマにした3回目は、わかりやすくし過ぎて抽象化思考が停止しないか?という疑問がテーマである。

先般共著上梓した本でたいへんだったのはタイトルと副題であった。何十も案を出したが、なかなかひとつにまとまらなかった。たいていの人がタイトル、副題、目次の3点セットで本を購入する。中身はぱらぱらめくり程度で買う。だからタイトルや副題に心血が注がれる。

ベストセラーの『さおだけ屋はなぜ潰れないか? 』を例にとると、このキャッチーなタイトルには次の要素が含まれている。
 
 さおだけ屋 (レトロで、誰もがたけや~♪さおだけ~♪のアナウンスを思う=共通体験)
 は (助詞です)
 なぜ潰れないか? (今どき誰がさおだけを買うのだろう?=共通する不可解さ)

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この本、よく見ると副題がある。「身近な疑問から始める会計学」がそれである。

身近な」は共通体験すなわち「さおだけ屋」にかかっている。「疑問」は共通不可解、すなわち「なぜ潰れないか」という疑問詞にかかっている。これらを抱擁しているのが「会計学」という確立された学問の安心感である。

『さおだけ屋はなぜ潰れないか?』というタイトルだけでは、おお、それはなぜなんだろう?という余韻を残して終わってしまうところだ。それを「タイトルはみんなの身近な疑問でしょう?という共感を求め、それを「会計学」という領域からちゃんと説明しますと、学術的にくるんでいるのだ。巧妙である。

このタイトルと副題のセット感こそ、ベストセラーとなった核心の理由と言ってもいいだろう。

【勝手にアドバイス旬ネタ わかりやすさが命 3.わかりやすさシンドローム】
ベストセラーづくりにケチを付ける気は毛頭ないし、売れないと無価値ではある。だが近頃は目次やタイトルだけで読んだ気にさせる本ばかりになってきた。

わかりやすさを追求することは間違っていない。だがサルでもわかる本、30分でわかる本でほんとうにわかるだろうか?本に限らず、わたしたちの抽象化思考は、どんどん減退していないだろうか?その現象を「わかりやすさシンドローム」と呼んでみたい。

【教室で】
ある進学校の先生が「わかりやすさ」で思考停止という一文を書いている。

 授業でも、とにかく「わかりやすく」が求められる。研究授業でも、プリントの説明
 一つにしても、参考書の選び方でも、とにかく「わかりやすい」ことを重視する。
 当たり前だ。先生の仕事だろ。わかりやすければ、生徒の理解の「量」が増え、
 学力がつくのだから、これは疑う余地のない良いことである、と考えるのが普通だ。

 引用元 http://blog.goo.ne.jp/kkhrpen/e/970a3d0ae1a09a4180e7d1ec3689e900

筆者の先生はこう書きつつ、子どもたちの物事を理解するアプローチに疑問を投げかけている。しっかり咀嚼をするというよりも、「わかった!」と感じることを目的化しているのではないか。「わかる」とは対象によってはかなり複雑なこともあるのに、簡単に「わかった!」を説明されないと、「じゃいい」となってしまう。

 Photo  イメージPHOTO。

「なぜ学校でピアスをしてはいけないか」と説明をしても、「はいはい、わかりました、とりゃいいんでしょ」とくる。考えることが面倒だから、「ひと言で言って!」「言えないの?」・・・わかってなくてもそこおしまい、これでは思考停止である。

自分の子どもを見れば、話を聞くだけでもいいなと思うが(笑)、わかりやすさで思考停止というのは、塾の勉強で、どうやって勉強するかのメソドロジーを求める姿にも共通している。独学や自習はもはや死滅したのだろうか?自分なりにノートで構造化をするのが勉強だったはずだ。

学問とはほんらい具体的事項を抽象化する思考力を育むものである。それが「もっとわかるように説明してよ!」と具体的な話だけして「わかった」で終わり・・・では、学問する意味はない。

【ウェブサイトで】
東大の小宮山宏学長は「グーグルは知に非ず」と断じている。
 
 グーグルは知の構造化とは異なるものなのです。関連する情報をリンクで
 まとめる というのは統合化とは言えないからです。「どこのレストランがうまいか」
 という情報なら、検索すればいくらでも出てきます。でも、「太陽電池の将来は
 どうなるか」と いう知的関心の答えまでは導き出せません。

 日経ビジネス 2007年3月5日号

 2_1 小宮山学長。

小宮山学長の言う知の構造化とは、情報の寄せ集めではなく、数多の情報から法則を見出し、抽象化するということである。ネットで数多のレストランの情報を集めると旨いレストランはわかる。だがなぜそこが旨いか、心地良いかを体験を通じて考えることこそ、味覚体験の統合であり構造化である。

見回してみると、たしかに器用に情報を集めることに長ける人は増えている。それで大概の大学の宿題は終わるからだ。ネットで簡単に解ける知識系の問題を出す方も出す方である。自分で格闘して考えた一文が生みだされないのは、教える方にも教わる方にも不幸である。

だが読者よ、気をつけてほしい。わたしはこう書いている。東大の学長が嘆くのだから、事態は深刻なのである・・・と。これは一事が万事の「わかりやすい結論」を引き出しているようでヤバいのではないだろうか?凡百の学長の言葉を挙げず、一人の東大の学長の言葉を挙げているのだから。これもまた「わかりやすさシンドローム」と言わずなんだろうか?

【お客さまにも】
具体が欲しいんだよ、具体が」。こういう口癖の方がクライアントにいた。「具体」とは何か?事例や実例なのだろうと推察はしたが、どうもその「グタイ」という単語が引っかかってしまって、かえってグタイが出てこないで難儀した。

セミナー講演でも営業活動でもそうだが、わたしたちコンサルタントは、常にグタイ=事例を求められる。そのことを否定するものではないが、そこでハタと気づくのは、たいていの人の思考経路は次のステップであることだ。

 具体 → 具体 →具体 ・・・ 結論

これを帰納法的思考と言うことはできない。なぜなら抽象化思考を飛ばした具体論は、まさに思考停止であるからだ。「この場合はどうか?」「いやこういう場合はどうか?」「ぢゃダメだな・・・」大方の会議はこういう話し合いに終始しているから結論も創造性も出ない。具体の山を築いて終わりである。

【わかりやすくするための抽象化思考のすすめ】
抽象化思考=すなわち問題や課題の構造化の労を惜しむと、顧客ニーズの根っこに触れずに商品化する羽目に陥る。どこか切れ味のない商品になる。

さおだけ屋の本は会計学への誘いである。あれだけ読んで「わかった!」と言われても会計学も著者も困るのである。柔らかい部分だけでなく、堅い部分もあるのは当たり前である。つまり、わかりやすさ自体を構造化することが必要、ということだ。それを考えてみよう。今日は以上です。

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