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2007年12月 7日 (金)

“うふふ”マーケティング こぼれ話 贈り物は参勤交代を越えて。

ビジネスメディア誠に書いた『贈る人も贈られた人もわくわくできる――“仙台小箱”に隠された秘密』。その大当たりを知ったのは昨年(2006年)の中元だった。その頃ブログにもちらりと取り上げたことがあった。なぜ単純な三段重ねにしただけの贈答品がヒットしたのか?疑問に思ったからだ。そのときは深く考えず書き飛ばしたけれど、疑問はそのままだった。

【大ヒットの数値を振り返ると】
大ヒットを数値でまとめておくと、次の通り。 

 06年 中元 9700個
 06年 歳暮 2万6000個
 07年 中元 (未確認だが1万個超は間違いない)
 07年 歳暮 目標2万9000個(asahi.comのニュースより)

百貨店自体の規模も違うし、取扱品種の数量も違うので東京など大都市の百貨店とは比較はしにくいが、「3000個も売ればヒット」といわれるぐらいだから、そのヒットぶりは凄い。藤崎の今年のお歳暮のカタログには仙台小箱が実質的に先頭バッターである(見開きで黒澤一門米、仙臺味噌、福治郎の納豆のこだわり商品紹介が各1ページあるが)。破格の扱いである。その後のページも派生商品の仙台じまん、仙台日誌、仙台ゆらり(母宛に一品申し込んだ)と続いて、一般ギフトになる。売りの序列がはっきりしている百貨店ならではである。

 20070530011jb_2
 http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/image/img/news/2007/20070530011jb.jpg

【小箱のヒットは百貨店の原点の競争力向上に通じる】
ヒットの良いところは、企業の競争力の原点を呼び覚ますことである。

百貨店という販売業態には“縛り”がある。製造元と販売者の“綱引き”と言い換えてもいい。百貨店の商品バイヤーが自らの目利きで商品を選定し、自主企画を売る場でありたい。それが百貨店としての使命でもある。

だが百貨店の商品への目利き力が落ち、売上が落ちると売場の主導権が製造・供給元に移る。百貨店がテナントの場所貸しになってしまう。場所貸し勝負となると、デベロッパーの運営するショッピングモールに遠く及ばない。数百年生き延びてきた百貨店業態が廃れつつあるのは目利き力が落ちたからである。

仙台小箱は自らの目利きでチョイスするパッケージングの点でも、百貨店という業態の本来への回帰となった。これこそ藤崎だけでなく、他の百貨店が財産にすべき点であろう。

 Item767p1_2  
 原点は『新三越本店』 山口晃氏作品
 http://em.m-out.com/ec/html/item/001/001/item767.html

【わくわくも下心あると嫌な気持ちになる】
「ヒットのなぜ」について、贈る人ともらう人の心の接点から書いたのが誠への寄稿である。

わたしがわくわくしたのは「何が来たのだろうか?検分しよう」という浅ましさだけでなく、小学生の分際で三文判とはいえ“一家を代表して”判子を押すことにもあった。そんな機会は中元とお歳暮ぐらいしかなかったからである。母も兄もいない、シンとした部屋の畳の上に、お歳暮や中元を重ねる。眺める。そして中身を検分する。ギフト券や電子ギフトポイントを否定しないけれど、あのときの“頂いた”という感じには遠く及ばない。

一介のサラリーマンだった父に、とりわけたくさんの中元・歳暮が届いたわけではない。そのころ(昭和40年代くらい)まだ盆暮れの贈り物習慣が当たり前の時代であったから、世間並みには届いていた。電力会社でダムや橋梁を設計し、現場所長をしていた父には、発注主の現場代表として協力業者さんからのお届けが多かったかも知れない。

だが一度だけ、父は頂いた贈り物を贈り主に突っ返したことがあった。

子どもの時分なので詳しくは覚えていないが、ひとことで言えば「賄賂」だったのであろう。あるいは貰うとある約束をしなければならない縛りがあったのかもしれない。「これは送り返しておきなさい」と父は母に言った。頂き物は高価なものだったはずだ(賄賂なんだから)。だが惜しいと思うよりも、その時は父よりも先に中身の“検分”をしていなかったことにほっとした。

贈り物には良い物もあれば悪い物もある。最近の某省の贈賄事件だけではなく・・・。

【恋人同士のギフトでも・・・】
だが贈り物なのだから、根は良いはずである。クリスマスはその最たるものである。ジムだってデラだって(O・ヘンリーの『賢者の贈り物』の夫婦)相手を思えばこそすれ違ったのだから。

恋人同士の贈りあうギフトも、お互いを知るはずなのに、考えれば考えるほどむつかしい。相方は喜んでくれるだろうか?相方は持っていないだろうか?相方はいつかXXXが好きだと言っていたが、口先ではないだろうか?

数々の疑問が、「わたしは、相方のことを、実はどこまで知っているのだろう?」につながる。何(十)時間も考えて「これ!」と思って買った品が、必ずしも喜ばれないばかりか、ギャップを露呈させることもある。その時、贈り物は残酷なリトマス試験紙になる。

むしろこう考えよう。感じ方、価値観、生まれ育ち、性格、好き嫌い、生き方・・・いろいろなことに、すれ違いがあったとしても、贈り物はそれを知るきっかけにもなる。ギャップは明らかになるからこそ埋めることもできる。

・・・と考えれば、すれ違いを楽しむのがほんとうの贈り物なのかもしれない。儀礼ギフトもしかり、パーソナルギフトもまたしかり。賢者たちの教えは普遍的なのだ。

今回の連載、果たして読者への贈りものになっただろうか?書き手とのすれ違いも微笑んで済ませてもらって、来週もまた読んでいただくという“参勤交代”になればよいけれど。今日は以上です。

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