少年よ、プラモを作ろう!
ブログを書き続けると、どうしても自分の恥ずかしい過去をバクロしてしまいがちだ。先日もチラリと学生時代のネクラなサークル活動をバクろってしまった。激しく後悔した。今やそこかしこから「根暗なのね〜♪」とかカゲ口が夏の虫の合唱のごとく聴こえてくる。
あまりに悔恨がつのったので、ええい!ままよ!ともうひとつ根暗をバクロすることにした。ヤケです。なぜって新橋に“モデラーの殿堂”ができるというニュースを読んだので。
【hmm…なアドバイス188.少年よ、プラモを作ろう!】
プラスチックモデルなどホビー商品の製造、販売を行う株式会社タミヤは、
イベントスペースを併設したオフィシャルショップ『タミヤ プラモデル
ファクトリー 新橋店』をプロデュースし、2008年9月17日、東京都港区
新橋に出店。商品の販売に加え、様々な情報発信の拠点として、タミヤの
提供するホビーの魅力をアピールしていきます。引用元 プレスリリース
“首都圏では初めて、タミヤの全製品が揃う3フロアの大型ホビーショップ”。地下1階と2階ですべての田宮製品4000アイテムを品揃え、2階はイベントスペースでミニ四駆やラジコンやトークショーなどをやるそうだ。4000個のプラモデルは凄すぎます。場所が今の勤め先の目と鼻の先なので、一度くらいのぞきたいなあ。
【わたしの田宮物語】
田宮模型さん、ほんとうにお世話になりました。小学校時分まで田宮マニアだった。当時から日本で最も精巧なプラモデルと言えば田宮。他にもニチモ、ハセガワ、青島などいろいろあったし、海外メーカーのモノも作ったけれど、何といっても田宮にゾッコンでした。戦車、自動車、オートバイ、軍艦、戦闘機、よく作りましたね。
夏休みの一日。誰もまだ起きない時間に早起きして、居間の座卓におごそかに箱を置く。開ける。説明書を取り出す。前日までの後のところをじっと読む。必要な部品ランナーを探す。ニッパーでチョキっと切る。バリをヤスリで削る。部品を揃え、接着面にセメダインを慎重に付ける。部品と部品を重ねる。ふ〜っとひと吹きして乾かしてやる。こんなことを繰り返した。
戦車といえばこれ、ドイツ陸軍タイガーⅠ 1/35シリーズです。今、3,570円。
いろんな思い出がありますが、懸賞で当選して小学校3年生の頃、ひとりで静岡の田宮にイベントに訪問した。田宮の発売する『タミヤニュース』もスミズミまで何度も読みこんだ。教科書の1,000倍好きだった。これはモデラーファン向けの月間の小冊子で、今月で472号だ。なんと40年間続いてる。脱帽です。
今月号。わたしはたぶん創刊号から100号分くらいのレアモノを持っている。
田宮の発売した“プラ板”(工作用プラスティック板。0.3, 0.5,1.2mm厚だったはず)は革命的な工作材だった。マニアックなわたしは『第二次世界大戦ブックス』のたった2、3枚の写真から、第一次世界大戦で登場した世界最初の近代戦車をプラ板で自作した。模型屋のイベントで賞を取った。
昨今でも夏休みの工作といえばプラ板を使うでしょう。プラ板は日本の男子の手先を器用にした、とても大きな功績があるのだ。
【プラ子っているんだ!】
鉄男がいれば鉄子がいる。プラ男がいれば“プラ子”もいるのか?探すと・・・いました!
TPF(タミヤプラモデルファクトリー)のトレッサ横浜店(2008年3月開店)のプラ子、小森さん。浴衣が似合います。このブログを読んでいると四駆の大会では、子どもたちがたくさん来ているので安心した。
タミヤのファクトリー店舗展開、背景には少子高齢化でモデラー人口の減少、ゲームばかりやるガキが増えたことがある。さらに新橋という中高年のおじさんタウンへの展開、中高年ファンのノスタルジアをそそろうというねらいか。それが体感型の巨大店舗なのだろう。
【hmm…なアドバイス】
ネクラ者の言い訳というかプラモデル作りの擁護。プラモデルはくっつけて組み立てるだけというなかれ。プラモ作ると手先の器用さが育まれるので、細部へのこだわりや集中力も養われる。プラ板工作では創造性だってかきたてられる。でも近視になるけど。
何よりも“作ったあとには壊れる美学”がプラモにある。壊れたらまた作るのだ。少年よ、指先動かすならゲームじゃなくプラモを作ろう!絶対に何かプラスになることがある。今日は以上です。
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