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2009年1月 4日 (日)

老人の美しい死に接して

 旧友の内田さんから年末に送られてきた本2冊、先日“ウォーター・ビジネス”のことは書いた。実はもう一冊の『老人の美しい死について』(朝倉喬司著)の方がある意味ぐっときた。正確に言えば、この本の最初の章の老人の死、歌舞伎役者市川団蔵(八世)の自死つまり自殺に姿勢を正された。

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 “人生の終末に、あえて自ら死を選んだ三人の老人”という帯文句があるが、市川団蔵の“あえて”にはさまざまな意味、想いがあった。年明けてウダウダしていましたが、これを読んでようやく新年らしい気持ちになりました。

【hmm…なアドバイス290.老人の美しい死に接して】
当夜の相客は17人、老人は入口近くに小さく体を縮めるようにして横に
なったものだった。とっさに加藤(引用者:同船のボーイ)は上甲板に
走り出た。折から雨。甲板の後部に、特二船室用のスリッパが並び、濡れ
っぱなしになっていた。
引用元 同著P23

歌舞伎役者の市川団蔵は明治15年(1882年)に七世団蔵の次男として生まれ、2歳から舞台を踏んだ。名脇役として舞台をかさね、昭和18年(1943年)に八世を襲名。昭和41年(1966年)芸術選奨を受賞。同年「八代目団蔵舞台生活八十二年引退披露」をつとめ、四国八十八カ所遍路の旅の帰途、船上から身投げをした。身の回りをきちんと整理し、四国の遍路参りも終えて、誰に迷惑もかけることなく。

当時のマスコミからは「寂しい花道」「冷たい歌舞伎界にイヤ気」と書かれたそうだが、八世を識る人びとは、その死に強烈な想いを観た。そのときから40年以上が経つ。本書は団蔵の死の胸の内を明かそうとして書かれた。著者の朝倉さんはこう書く。

団蔵の自殺は、つまりは、もはや過去に置き去りにされるしかなくなった、
この「質」を秘かに胸に抱いてのものだったのではないか。
(同著P39)

“質”とは、明治時代の歌舞伎が実現していた何かだという。

【芸のために】
ひとつは明治の歌舞伎役者は、芸に命を捧げたこと。

父七世は明治の歌舞伎役者として傑出した存在だった。子の八世を二歳で舞台を踏ませるが、教えることはしない。突き放すか叱るかだけだった。踊りがなっていないと言っては、子を真冬の庭木に逆さ吊りをするような教えかたであった。しかも舞台が悪ければ、途中で降板もありという厳しさ。今どきの芸以外のニュースばかりが目立つ若手役者を、甘やかすような風潮のカケラもない。

それに応えた子の八世の想いも深かった。どうやら「自分が天性、巧い役者ではない」ことに気づき、それがゆえの精進に励んだ。だが身の本分を知るゆえか、主役を張るような輝きを見せることなく、脇に徹する芸にとどまる。だから芸術選奨受賞に際して、自分は「何でもない人間ですよ」と言い賞金をあっさり寄付した。芸に厳しく己に厳しかった。

【著書『七世市川団蔵』】
芸への精進の凄さのエピソードで気になったのは、八世の著書『七世市川団蔵』だ。

70726f647563742f3344534330353130342  画像は1966年の改訂版 引用元 

これは八世の父の芸の事蹟を“思いだして書いた”400ページの著書。七世は1911年に没しているので、2歳の舞台から25年に渡る“観察記録”だ。これを戦時中の1942年に刊行した。この著書のおかげで八世の事蹟が広く世に遺ることになった。なにしろ書きあげるのに10年をかけた。厳しかった父への畏敬とともに、芸への求道心が書かせたものだろう。これは読んでみようと思っている。

当書の中にあると思われる、七世の明治23年のエピソードも気になった。演目が『佐倉』(義民の木内宗吾が、暴政に苦しむ人々のために将軍徳川家綱に直訴したという伝説)に決まったとき、宗吾の歴史を調べて役づくりをするため、わざわざ人力車で佐倉まで出かけた。調査の上、台本を1/3も書き換えた。力を入れて演じるとまったく客入りが悪い。そこで宗吾の碑に願をかけると、翌日からドドドと大入りになったという。

05 歌舞伎座08年上演より。(“佐倉義民伝”)

【時代とともに自分を葬る潔さ】
七世の父に似て、八世もまた大劇場(歌舞伎座)でやるよりも、観客と舞台が一体となった新富座、観音劇場など“芝居小屋”に好んで出た。格式を重んじる市川家内の確執もあったというが、大劇場だけが芝居じゃないという想いを生涯をつらぬく。歌舞伎の観客や演じ手の質の低下への憂いも背景にあったようだ。

だが彼の死は、そうしたことへの抗議の死ではなさそうだ。八世は芸を極め、その極めた芸はある深さに到達し、その深さを“わかる時代”が過ぎ去ったので潔く死んでいった。時代の終わりに自分の芸を葬った。そう感じた。

【おわりに】
ご興味を惹かれた人はぜひ本書をお読みください。団蔵以外の2人の老人の死も、また団蔵の死に通底する感触があります。本の紹介にさえならない拙いブログになってしまった。ごめんなさい。

最後に、コルドーニの宮島惠一氏が1972年に書かれた一文の中から一行を引用します。これは七世のことばで、「手前」は八世のことです。

そして叱るときには、「おれの腕を洋小刀で削ると金貨が出る。手前の腕は
世間並の血だけしか出めェ」といったという。

芸(あるいは仕事に生きること)の前に謙虚になることを忘れずに、精進することを誓いつつ、せめてまだ書いていない年賀状をこれから書きます。今日は以上です。

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