百貨店の閉店で本当に残念なこと。
きりっとした小物を扱う店のある街。小径を歩いて発見がある街。馴染みのバーで吠える表現者がいる街。画廊らしい画廊が良い佇まいを見せていた街。銀座百点が生き生きしている街。それが銀座である。
その良さが相次ぐ量販店やブランド店の進出で失われ、異国のお客さんに席巻されてしまった。銀座を贔屓にするお客さんがいなくなり、銀座から退店が相次ぐ理由だ。これが残念なことである。
【丸光の残念】
「これ以上の営業継続は損失をさらに拡大させ、社会に迷惑をかける」として再建を断念し、閉店と会社清算を決断した。45年間にわたってJR上諏訪駅前にビルを構え、「地域の顔」でもあった大型店の閉鎖は、地域住民らに大きな衝撃となりそうだ。引用元
諏訪駅の前にどーんと構えていたまるみつ百貨店(元の丸光)。04年の会社更生法申請から7年目にして閉鎖される。百貨店コンサルタントの支援も得て、商圏をぐっと狭めて「生活百貨店」として出直した。それでも客数は伸びなかった。
「ここで買い物をするのがステータスだった」と述懐されるお客さんもいるように、30年前と今ではまるで環境がちがう。地元では「せめて生鮮食料品売場を継続させよう」と動いているというが、「残念」なのが生鮮売場だけで他の売場が残念でないなら、それこそまるみつ百貨店にとって残念である。
それにしても駅前が良い立地なのは、もはや三大都心部の主要駅くらいで、地方都市ではむしろ重荷になる。郊外でどーんと広い土地の方が集客できる時代とはいえ、ぼくはショッピングモールは嫌いだ。オートマチックに買うのが面白いと思うお客さんの増加が、また残念である。
【街のプロデューサーがいて、持ちつ持たれつがあって】
商店の不振は商店だけの問題ではない。たとえそれが百貨店という核店舗であっても。いくらナリが大きくても、街が活性していないと集客はできない。街の魅力が上がるから商店が集まる。さらに魅力が高まる。地域があって自分が活かされる。持ちつ持たれつなのだ。そのことを忘れた時に店舗は不振が始まる。
街のプロデューサーが街の活性化を担う。誰が適任なのか?タウンマネジメントといった結果責任を問われない肩書きの人じゃないし、商店会の会長さんでもない。街の文化にこだわり、文化と商業を結びつける努力をする人。そういう人が減ったのも残念だ。
最後に余談。そんな人と昨日谷中で出会った。短い語らいだったけれど、彼女のやってきたことの凄さはわかった。いずれちゃんとインタビューして、下町のプロデューサーの業績をまとめさせてもらいたい。
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