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2011年9月22日 (木)

『水戸黄門』打ち切りのワケとこぼれ話

今日はビジネスメディア誠で連載する“うふふマーケティング”へのリードとこぼれ話です。

    郷好文のうふふマーケティング:

“楽園思想”が受け入れられなくなった!? 『水戸黄門』打ち切りのワケ
1969年の放映開始から42年も続き、今年12月ついに終了するTBSドラマ『水戸黄門』。長寿番組が打ち切りとなった背景には、消費者のどんな変化があったのだろうか。
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いよいよ長寿番組の水戸黄門が終了する。といってもM3層つまり50歳以上のオジサンには感慨深くても、20代・30代の男女には「それが?」と言われそうなニュース。まあそう言わずぼくの想い=なぜ東野英治郎の水戸黄門の時代はよかったのかを読んでほしい。

【テレビは家族をかろうじてつなぎ留める器具】
エッセイを書いていて思ったことがある。「水戸黄門のたそがれはテレビのたそがれ」でもある。


水戸駅前の石像

バラエティ番組をつまみ食いする視聴習慣や、ビデオやDVD・HDに録画して飛ばし観する非同期視聴がなかった70年代、家族みんながじぃーと観ていたのがこの番組。

ものすごい感動があるわけじゃない。ゲラゲラ笑えるわけじゃない。すこぶるワンパターン番組。でも微笑んで頷いて、終わったらよいしょっ、風呂に入るぞ、そんな生活リズムをつくっていた。それが「良い時代だった」とは言えないけれど、テレビの終わりと一緒にそれは終わったと思う。

視聴者は消費者だから、時代とともに変化するもの。だけど変わらない部分があってもいい。あまり便利になり過ぎて変わっちゃいけない部分まで変わってしまったのが日本のライフスタイル。水戸黄門みたいな番組を家族がリアルに同時に見る、そんな習慣はあってもいいのだ。テレビは家族をかろうじてつなぎ留める器具なのである。

【演技するな、初心に返れ】
番組は長寿になればなるほど最初のフィーリングを失いがち。水戸黄門も寅さんもこち亀もそれを失わなずに続けたことはすごい。なぜだろう?と考えたとき、待てよ初代水戸黄門(東野英治郎)とそれ以降の黄門はちょっと違うぞと気づいた。演技のリアルさである。あとの黄門になるほど演技がくさい感じがする。

演出家の森田雄三さんは「人は息を吸うときは嘘を言う」と書いている。

「いいや、一人でいたよ」と呟いてみて下さい。呼吸を吸ってからと、そのままの呼吸で試してください。違いが分かるはずです。呼吸を吸ってから喋ると、言い訳がましくなるのは分かるでしょうか。引用元

嘘を言うときは「吸ってから言う」、ホントのときは「吐いて言う」。そう言われれば…とホゾを噛むけれど、森田さんは「子供は嘘をつくとき息を呑んでいる」「嘘っぽい演技をするな、リアルな演技をしなさい、それは息を吐くこと」という。東野英治郎の水戸黄門時代のキャストは、みんな自然に吐いていたのではないだろうか。

そう考えると「初心のフィーリングを失わない」ことがほんとに大切である。誰にとってもむつかしいこと。ぼくもよく見失うのだが、そんなときに実践していることを紹介しよう。



それは「ファーストアルバムを聴く」。 そこにはミュージシャンの原点がある。初心がある。純粋がある。原稿に詰まったときやアイデアが枯れたとき、ぼくは『Wide Open Spaces』(ディクシー・チックス)、『Tuesday Night Music Club』(シェリル・クロウ)を聴くといつも新鮮になる。あなたの好きな音楽でお試しください。

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