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2011年12月16日 (金)

歴史小説を読む作法

ある人から奨められて『蒼き海狼』(火坂雅志著)を読んだ。2001年発表の歴史小説。祖国への想い、恋や友情、戦をアジアスケールで描く冒険大作である。


日本は鎌倉時代、2度にわたる元寇(モンゴル帝国の侵略)後、3度目の日本攻撃を狙うフビライ汗のモンゴル帝国に“諜者(スパイ)”として送り込まれた朝比奈蒼二郎。北条氏との戦いに破れた朝比奈家が高麗国の耽羅島(現在の済州島)に落ち、そこで宋人の母との間に生まれた子という設定である。

年は二十代の蒼二郎は、腕も恋も滅法強いジェームズ・ボンドであり、戦をさせればランボーであり、日本・韓国・中国・ベトナムを又にかける国際人である。とりわけ格闘技(彼がマスターした諸賞流)の叙述がいい。フビライ汗をあと一歩で暗殺しそこなうなんて映画だぜ。すいすいと読める本である。

も ちろん元寇という中世日本の国家危機を、国際的な視点から鳥瞰する歴史絵巻でもある。とりわけモンゴル帝国や大越(ベトナム)の描写がおもしろい。日本の 戦国時代の話とは違う味わいがある。なぜ大越がモンゴルの大軍を何度も敗走させることができたかわかったし、現代の米国との戦争でなぜベトナムが勝利した か?その理由もよくわかった。

ただ全体に掘りが浅いところが多々ある。主人公蒼二郎の恋も、失われた祖国への想いも、自分自身の存在を求め る姿も、中途半端というかもうひと掘り足りないというか。彼をめぐる人物たちも、ベトナムの陳興道将軍や僧侶の無学祖元らを除くと、どれも浅い。これは惜 しい点だ。著者は一流の書き手だから、色んな事情があってそうなったのだろうけど。

ぼくは亡父と違って歴史小説ファンではない。父の死後た くさんの歴史本を処分して残したのは『坂の上の雲』『新・平家物語』『それからの武蔵』など幾つかくらい。歴史テキストぽい調子や、紋切り型の言い回しが 嫌いなのだ。『坂の上の雲』は傑作だと思うが、やはり解説調の言い回しが鼻につく。だから「歴史物は読みたく年頃があるのさ」と考えて手を付けてこなかっ た。

『蒼き海狼』も臭いところはある。でもこれには空想のスペクタクル、中国映画の活劇なのある。それで許せちゃうところがある。

そう考えると、そもそも人は歴史小説を何のために読むのだろうか?

政治家なら「政敵を倒す道しるべ」、経営者なら「時代の変化を見る」、商売人なら「人びとの情理を感じる」のかしら。書斎派だった父は“昔はこうだった、今はこんなだ”と「現世をボヤくために」読んでいた。聞いちゃられんかったよ(笑)。

蒼二郎の話を読むとそれは「ロマンを求めて」のような気がした。苦闘、逃亡、情熱、希望、夢、愛、達成。彼を通じて当時のエッセンスを体験する。これはいいだろう。

さらにどんなに歴史を丹念に調べても、事実と事実をつなぐ部分にファンタジーは残る。人物はずっと昔の絶対に会えない人なのだ。まして蒼二郎のような人物は、イマジネーションの産物である。

歴史のギャップをどうつなぐか?どう埋めるか?それをじっくり考えることが、歴史小説を読む作法のような気がする。

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