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2012年2月29日 (水)

新薬開発と陰翳礼賛

和室の効用は深くて広い。靴を脱いで解き放たれる。タタミを歩けば地に足が付いた発想がわく。横にごろんと思考が転がりだす。障子の逆光が発想を逆転させる。紙・木・布・土の素材を活かす空間。そこでは“研究開発”も促進される。

医薬品の研究開発は、メーカーの研究職の中で「群を抜いて独創的なひらめきが要求される」(アナリスト)といわれる。それだけに研究所内は近未来的な最先端設備の集大成かと思いきや、意外にも「和室」を設ける製薬企業が増えている。引用元=SankeiBiz

画 像は大塚製薬の第十研究所(徳島市)。研究所の事務フロアの隅に6室の和室を設けた(1.9〜3.6畳)。和室というより和空間には卓袱台があり、寝たり 眠ったりも自由。これが好評で製薬各社が真似だした。塩野義製薬のシオノギ医薬研究センター(大阪府豊中市)には最上階に和室が設けられて掘りごたつで議 論ができる。

新薬の独創発想は研究員が一生にひとつできるかどうかと言われる。和室くらい安いものだ。しかしこの和室研究室は斬新だ。

 日本人だから、くつろげる。
 日本人の原点に目が瞠(ひら)かれる。
 日本人が原点に何を観たか考えさせる。

新薬開発だけではない。一般の製造業もサービス業も、大なり小なりアイデアは必要だ。そう考えたとき『陰翳礼讃』を思い出した。

【陰翳礼讃の和の世界観】
文豪 谷崎潤一郎氏のこの作品(初出は昭和8年/1933年)は、 西洋と日本の本質的な対比を、日本間の暗さや影、モノの無い空間、素材の使い方、自然との共生を通して描いた。といわれるが、実は谷崎は東京に純和風の家 を建てたいと考えたのだ。彼自身の“普請道楽”、究極の日本家屋を造りたいというこだわりを書いたのである。たとえば…

電話は表に付けず階 段の裏に設置する。部屋のスイッチは押し入れに隠し、電気コードは屏風の裏をはわす。煽風機というブンブン回るものは不粋だ。障子は紙だけでは風雨に耐え ないので、外側にやむなくガラスをはめる。浴槽・浴室は全て木にして、タイルというツルツルしたものは拒絶、と言った具合に。

特に腐心したのは(かわや)、トイレである。彼の理想のトイレは寺院の離れだった。

母 屋から離れて、青葉の匂や苔の匂のして来るような植え込みの蔭に設けてあり、廊下を伝わって行くのであるが、そのうすぐらい光線の中にうずくまって、ほん のり明るい障子の反射を受けながら瞑想に耽り、または窓外の庭のけしきを眺める気持は、何とも云えない。(同著 P11)

そ の薄暗い静謐さが、漱石先生も“便通が楽しみ”と言わしめたと谷崎は書く。確かに50年ほど前までのトイレは板張りで、下部には匂い抜きの引き戸があっ た。小便器側にも窓があり、外からチュチュチュ…と小鳥のさえずりも聴こえた。厠は自然の中にあった。和室は思考のポットンに良いのである。

【和室も和風も時代と共に変わる?】
だが再読していて、ひとつ引っかかった。谷崎はこの時代の“先端”が、すでに和風を否定すると嫌っていたのだ。80年後の時代に住む我々から見れば、昭和 の戦前は遠い昔、和風ばかりが転がっていたと思う。それはちがう。彼は既に和風は遠いものになっていたと嘆いている。彼から見る日本人はこうだ。

 和風をたしなむ「感性を失って久しい」
 和風はいいと言いつつ「便利な洋風生活を捨てられない」
 しかも価値観が変わったことに対して「罪悪感を持たない」

いつの時代から振り返っても同じような感想を持つのだろうか?それともこの100年、日本は洋に追いつけ追い越せで来たから、文化的な断絶が激しかったのだろうか?

どっちなのか言いにくい。だが「和室」とは不変でなく、時代と共に変わることを覚えておきたい。変わらないものと変わるものを見さだめること、それが「原点にさかのぼること」であり、それが商品開発の要だと思うのである。

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