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2012年3月30日 (金)

マリリン・モンローをめぐる恋の随想

ぼくはマリリン・モンローの格別なファンではない。この映画も観たわけじゃない。でもぼくは無謀な恋はしたことがある。マリリン・モンローは何度もそれをした挙げ句…死んでいった。

「だれもほんとうの私を知らない」
 でもあなたと一緒にいたら…
「“マリリン・モンロー”をやめられた」

公開が始まった映画『マリリンの七日間の恋』。 その恋はマリリンを解き放つものに見えたのだが…。たんなる女優の気まぐれなのか、女性ノーマ・ジーン・ベイカーがマリリン・モンローとなり、美貌や肢体 だけで観られる孤独から逃れるためだったのか。史実はお墓のどこかに埋もれているだろうし、ひょっとしたらマリリン本人にもわからないかもしれない。

【donaさんの食い足りなさ】
だがこの映画を観たdonaさんがFBにこう書いていた。

とても美味しい前菜だけを食べた感じの印象。もう少し、恋心がほんの数日でも深く本物であった感じが欲しかったかな。

donaさんの見立ては「前菜だけの恋」。うまい表現だなあ。「恋はどこからともなくやってきますね」とツッコンだら、せっかくなら「スープも肉料理もデザートも欲しかった」と(笑)。まったく同感。ぼくは肉より野菜好きだが(意味不明です_笑)いっぱい食べたい。この映画の彼はまさに“前菜男子”でしたね(笑)。

さて、自分の過去と未来を断ち切る恋に出会ったとしよう。いや出会ったと錯覚したとしよう。たとえそれが七泊八日の予定でも、スープが喉にひっかかって咳き込んでも、無難な生き方を止めて無謀に走りますか?

恋とは寂しさと欲求不満からの救いである。たとえ一瞬でも満たされるなら、人は無謀になりうる。なぜなら誰しも無謀と無難というエンジンを両翼に積んで生きている。恋するとき無難を落して、片肺飛行で滑空するのだ。

【Ikuyoさんは寂しい影を感じた】
なんてことを思っていたら、別のFBの友人Ikuyo Imaiさんが、次の画像を掲げて20年前の「マリリン・モンロー展」の思い出を書いていた。Ikuyoさん曰く。

不 遇な少女時代からハリウッドの頂点に上り詰めたわけですけれど、彼女の表情にはやっぱり、どこか寂しい影があり、そこに大きな魅力と切なさを感じます。 (中略)彼女もセックスシンボルと呼ばれるのが死ぬほどいやだったのではないのかしらん。そんな事をふっと感じます・・・」

オトコはHな生き物であり、オトコの恋の半分は「H」でできている。実はぼくもだ。だがオンナの恋は「ここでないどこかへの旅」でできている。つまり恋がフルコースになるためには、Hとディスティネーション(行く先)がセットであることが必要なのである。

はとバスのワンデイツアーではひとくちのキッス、七日間では前菜のハグで終わる。かといって半年の世界一周クルーズでは恋にもコレステロールが溜まりそう(笑)。一ヶ月くらいの逃避行なら、イタリアンもフレンチも和食も中華もバラエティに富みますよね。

恋とは、Hとディスティネーションが交差する無謀な旅なのだ。マリリンの一生とは自分へのHな欲望と引き替えに、ディスティネーションを探す旅だったのかもしれない。

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