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2012年5月 9日 (水)

フェイスブックのウラの効用

フェイスブックのグループのお誘いが来た。

『自分に正直なグループ』というのを作りましたのでご参加ください。

どういうのか。「ぼくはスケベです」「オレも」「あたしも(女性)」と自分に正直な書き込みができるクラブだ。「ここでのことは他言は無用、バレたら命の保証はしません」というので、ぼくは明日、抹殺されているかもしれない。しかしまあこのサークル、正直というよりスケベなだけかと(笑)。

クラブ員たちの盛大な「正直ぼくスケベ」の盛り上がりを見て、ふと思った。「正直である」ってどういうことなんだろう?

【正直って何?】
まず、ここの書き込みのように「自分をさらけだす」ことである。

実はぼくはこんなヤツなんだ。それでもいい?」ぼくも人知れず相当スケベだし、心の中には小心者もいるし、アホウもいるし、うっかりはひどいし、嫉妬も隠れている。仮面をかぶり続けて演技者で生きるより、さらけだして肩の力を抜いて生きたいと思う。正直はキモチいいのだ。

ところが正直すぎるとよくないことはある。財布ではなく紙幣が道に落ちていた。番号を控えているやつはいない。もらっちまえばいいのに交番に届ける。1年経って忘れてしまって警察の予算になってしまう。「正直者は馬鹿を見る」。

ということは局面局面、ケースバイケースで、正直さを出すべきと出さないべきがあるのだ。それが大人というもの。でもそれって正直じゃなくて「賢く立ち振る舞う」ってことでしょ。うーん…ということはこういうことだろうか。

自分に正直なのと、他人に正直なのは違う。

自分に正直であるというのは、本当の自分を世間体をひっぺがして直視する。自分のナマの欲望を知る。一方他人に正直であることは、自分の正直な想いを相手に伝えること。それも相手がイヤな思いをしないように配慮しつつ、「正直オレはこう思う」と伝える。

つまり「自分に正直=内向的な正直」、「他人に正直=外向的な正直」には違いがある。前者はナマ、後者には世間体という鎧がかむさる。

【フェイスブックのウラの効用】
そこでもうひとつ質問。「ソーシャルは正直者を育てるのだろうか?

老舗の2チャンネルはどうだろう。この伝言板サイトは匿名であり、人に迷惑がかかってもかまわんという、ホンネの正直をガツンと書き込める。普通は言えない内向的な正直がオモテに出してしまう。だからおもしろいのだ。ここには「匿名の正直者」が集まっている。

フェイスブックはどうだろう?ナチュラルなコメントをする人は好感がもてるし、さらけだす人は「いいね」を多くGETしている。自分をさらけだすのと、どこか構えてるのでは「いいね」の数=共感度合いがちがうのだ。

だがここは実名サイトだ。それなのになぜ正直になれるか?読むのは原則「友だち」だけだから「実名の無謀な正直者」なれる。それが楽しい。

さらに『自分に正直なグループ』のもっと無謀さはどうだろう。こんな画像を出して「実はこれがスキなんだ」と書き込んで「実名の無謀でアホウな正直者」になる。そこに言葉のヌーディストになるカタルシスがある。フェースブックがイイのはこれである。ただ実際にはいろんな人がいるから、正直者は馬鹿を見るにならないように…。

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