iPadとその手描きアプリをめぐる妄想
2012年6月11日のAppleのWWDCは、新MacBook Proなどをそれなりに内容はあったけれど、すっかり見過ごされたニュースがあった。それはApple Design Awards。Macの製品上で動く優秀アプリの表彰である。
iPhone/iPad/Macそれぞれ3作品、学生部門2作品が発表された。11作品中、ゲームが目立つ中で「ことばのデザイナー」たるぼくが注目したのは、iPad部門の手描きアプリ『Paper』。これが実に良くできている。
文字も絵も滑らかに敏捷に描ける。指の「ひと筆」の細い太いが精妙かつ豊か。シンプルでわかりやすいインターフェースで、習熟も速い。これまで使ったことのあるiPadのお絵描きアプリの中でトップだな。スタイラスも使える。おすすめ。
だがこれを使ってぼくは、絵を描くだろうか?それは微妙だ。
まずぼくは手書き派である。ゆえに興味をもってiPadのお絵描き&手書きアプリを積極的に使ってきた。だが正直、どれも長続きしなかった。結局「リアルな手書き派」として、紙と鉛筆を使う。画像の後ろの紙は、野沢温泉でのイベントの提案書で、また今日は来週のJAGAT大会でのプレゼン資料を鉛筆で描いていた。
どうも指で「書く/描く」のがどうもなじめない。指でアプリを操作するのはよくても、文字や絵を書くのがちょっと…。スタイラスというデバイスもイマイチが多いし。
大昔、石器時代の洞窟では、みんなが指で壁画を描いていたはずだ。だけど文明人のわれわれには、ペンすなわち鉛筆、万年筆、ボールペン、シャープ…など筆記具がある。指よりももっと精緻に、もっと自在に描ける道具がある。それを使う方がいいじゃないですか。
筆記具を持つ効用もある。いじってあれこれ呻吟したり、紙面に立てて思考する。転がして遊ぶ。筆記具は人類の大発明であり、紙と手と脳をつなぐ思考ツール。それなのにわざわざなぜ指で描くの?それって「退化」じゃないのか?
…と思ったが、待てよ。
大昔のひとは筆記具なんて無くても、すばらしい壁画を描いた。とすると彼らは、指が思考ツールだったのかもしれない。 とするとペンをもたないと思考できない現代人は、むしろ思考力が退化したのかもしれない。とすると、iPadに指で描くというのは、退化した思考力をとり もどすことができる行為なのかもしれない。失われた数千年をとりもどすことができるかもしれない…おおそれはほんとうか?
あれれ、わからなくなっちまった。
ふと思った。iPadとは「あの骨」に匹敵する存在なのかもしれない。映画『2001年宇宙の旅』のプロローグで、猿人が道具(=動物の大腿骨)を空高く放り投げるあのシーン。そのあと画面はパッと切り替わって宇宙時代になる。
スティーブ・ジョブズが人類に向かってトスしたiPadとは、やはり大発明だったのだろうか。
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