モデラートなモデレーターになれるだろうか。
モデレーターとは、壇上のプレゼンターと会場の間をとりもつ司会者。話の方向をさだめ、中庸をとり、黒子に徹する役割。語源はモデレーター=音楽用語のモデラート=「中くらいの速さで」からきていると思う。自分ワールドのぼくには、もっとも似合わない役目で、それを知るcherryさんはヒヒヒと笑っているが、依頼してきた主催者の涙とため息が今から想像できますわ。
それはともかく、今日もクリエイター・ピープルといっしょでした。活版、製版、陶器、イラストの『水玉びより 水玉だより』展示会&ワークショップ。彼らはある一定のリズムをもっている。knotenさんたちはほんとにそうだ。ゆったり、それでいてひたむき。会場に集うひとびとも、どこかそれと似たリズムをもっている。
そんなリズム、どこから出てくるのだろうか?
身のこなし、話し方とか、
姿勢、勢いとかやる気とか、
つまり人の空気なんだろう。
考えてみると人だけでなく、お店にもリズムはある。
何か業種をひとつとってみよう。たとえば本屋。まったりできる本屋、ゆったりできる本屋、スキップしたくなる本屋、買ってさっと立ち去りたい本屋。ぼくらは探すリズム、読むリズム、決めるリズムでお店を選んでいるような気がする。
ではぼく自身、どんなリズムなのか?それは<転調の連続>。トントントン、ガーガーガー、ッッッッ…、ふたたびトントントン、転調のリフレイン(笑)。ようするに落ち着きがない。ゼンマイの切れかけたメトロノーム。ああやだなあ。水玉リズムを身に付けたいものだ。
ところでリズムが合う、合わないってどういうことなんだろう?
あ る人から「郷さんからやる気をもらえる」とお世辞をもらったことがある。郷さんから、という部分を削除すると「やる気をもらえる人」は確かにいる。それは その人とリズムが合うからでもある。押したり引いたりの「凹凸のリズム」が合うからその人と「ウマが合う」。お店だとそれをターゲットだとかいうが、そん なカタカナでそこに立ち入らなくてもいい。
自分のリズムを知る。自分のリズムと似た人に集まってもらう。まずはそこに焦点を合わせたい。そこから「そのリズムって案外いいじゃん」という、ちがうリズムの人も集まってくれればいい。
ところで日本人は<中庸を好む>と言われる。右にも左にもブレすぎず、グレーの町並みのように黒でもなく白でもなく、そのミックス。世の中どちらか、ということだけではないから、中庸も悪くない。でも<見せかけのモデラート>はやめたい。何かに遠慮してモデラートを装うのは、自分へのモデレーターとして、失格だ。
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