裸になれよ、「あの」裸じゃないひとたちへ。
ウクライナの活動家は「欧州選手権が売春を助長している」と叫んで暴れた。因果関係はよくわからんがこっちは過激ですわ。
年に一度の裸自転車、『World Naked Bike Ride』は今年もあった。テキサスのオースティン、サンフランシスコ、モントリオールなど、20カ国の70市が参加。これは化石燃料(クルマ)への反対行動、もっと自転車使えよ。
今日服を着てサイクリングしたぼくも同感ですよ。いつか全裸になって参加しますよ!これはマドリッド。
もうひとり、中西麻耶さんは100mと200m走のアスリート。ロンドンで行われるパラリンピックへの出場費用のカンパと、パラリンピックへの注目度を高めるため脱いだ。美ヌードカレンダーはアマゾンで発売中。
この人たちはどうして脱いだのだろうか?もちろん脱ぐのは法律違反だから(ちなみにサンフランシスコでは違法じゃない)そこを突く。裸は武器だから、という計算もあるにしても脱ぐには覚悟がいる。これだけは言うぞという意思がいる。それを貫いている姿が立派。
リアルに裸になれないぼくらも、せめて「自分の心は裸だろうか?」と問いかけたい。
たとえば自分の仕事。好きでやってますか?好きになろうとしていますか?
ぼくは文を書く人として、自分に正直に書いているだろうか?と詰問する。アートを支援する人として、正直に考え、企画し、実行してるだろうか?と詰問する。ちがうと思ったらやめる。自分に裸なレベルが、読者やお客さんへの裸レベルで表れるから。
さて自分は脱ぐ人になったとしよう。でもそれを人に強要してはいけない。脱ぐ人もいれば脱がない人もいる。それを認めるのも脱ぐことのひとつなのだ。
でも裸にならないばかりか、この厚着ぶりには「脱げよ!」と言いたくなった。『大飯の安全性は妥当 報告案 福井県原子力安全専門委』というニュース。密室会議で結論を出して、政府や福井県のひとびとは何を、誰のために守りたいのだろうか?
引用元=朝日新聞web
別室でやるなら、そこで裸になって会議しよう。そうすればもっとホンネがでる。傍聴者も記者も、みんな裸になって抗議しよう。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント