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2012年7月21日 (土)

ネオ・プアの時代へ 『<借金人間>製造工場』を読んで。

ぼくは“借金人間”だろうか?

住宅ローンは背負っている。教育ローンは子供にパスした(笑)。幸いいわゆる高利貸しや、銀行という衣をかむった高利貸しにはお世話になっていない。

日本の貧困率(平均所得の中央値の半分に満たない人)は1985年に12%だったが、25年後の2009年には16%になった。約2,000万人が貧困なのだ。色んな意味で話題の生活保護世帯は150万世帯に達し、日本全国では約5200万世帯、3%弱である。


引用元=社会実情データ図録より

年金も含めて「払えん人」が増えている。今や「払えん」というのが不思議じゃなくなっているし、それを咎めない風潮さえある。

この点で、盟友内田編集長(作品社)が担当した『<借金人間>製造工場』(マウリツィオ・ラッツァラート著 2011年)はタイムリーな本である。残念ながらいかに払わないかというハウツー本ではない。今世界で起きている「借金人間の製造システム」を解きほぐした本である。

相次ぐ金融危機は、すでに出現していたある主体の姿を荒々しく浮かび上がらせたが、それは以後、公共空間の全体を覆うことになる。すなわち<借金人間(ホモ・デビトル)>という相貌である。同著P18

資本主義の発達以降、人間は<経済的人間(ホモ・エコノミクス)>になった。企業家が一番豊かで一番幸せである、というイメージをもって、過去一世紀以上過ごしてきた。貧乏は劣る者の生活である、まずは中流層になろう、できれば起業しよう、それが豊かな生活への一歩だと信じてきた。

だが04年からのサブプライム住宅ローン危機、08年のリーマンショック、そして11年からのギリシャショックなど、一連の金融危機の結果、ぼくらは「経済的人間にはなれない」「それって幸せ?」と思い出した。

<負債経済>においては、人的資本や起業家になることは、金融化された弾力的な経済のコストとリスクを引き受けることを意味する。(中略)「自分自身を企業にする」ことは、貧困、失業、不安定、生活保護、低賃金、年金カットなどを引き受けることを意味する。同著P70

要は起業は投資=負債を抱えることであり、リスクである。それなら起業しない方がいいと思う人が増えた。日本はまさにそんな感じだ。さらにムードは確実に変化している。こういう人びとが増えている(以下はぼくの造語)

・年金・医療費は払えません「ゲンメン・プア」
・もらえるものはもらう「ナマポ・プア」
・お金がなくても不幸せじゃないよ「ハピネス・プア」
・返せんものは返せん「ヒラキナオリ・プア」

昔は「フミタオシ・プア」が夜逃げをしたものだが、今は堂々と生活保護をもらう。いろんなネオ・プアが出て来たもんだ。あーあ。

いやぼくらが嘆くのはおかしい。貸し手である資本家は、かつて「借金を返す人間は美徳である」という“信用”をつくりあげたのだ。それで彼らは儲かっていた。だが貸す相手=起業家が少なくなり、返すことも美徳でなくなってきた。ネオ・プアな借金人間が増えた。それは資本家の嘆きなのだ。

本書は「新たな階級闘争へ」と締めくくられるが、貧困から政府転覆ムーブメントが起きるかどうかぼくにはわからん。だが今の反原発首相官邸前デモが続けば、いずれ形を変えたムーブメントになる予感もする。

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