« 蝉しぐれ〜染色体は音符になった。 | トップページ | 英語の美文に触れてごらんよ。 »

2012年9月 3日 (月)

雨にぬれても、誇らしければ。

「meet the future!」と、当時新しかった自転車を滑らせるのはブッチ・キャシディ。そのハンドルに腰掛けるのはエッタ・プレース。バックに流れる主題歌が『雨にぬれても』。1969年の映画『明日に向かって撃て!』の名シーンである。

曲名“雨にぬれても”、英語の原題は『Raindrops keep falling on my head』、雨つぶがおれの頭に落ちてくる、である。作詞をした米国の詩人Hal David氏が、2012年9月1日に死去した。そのニュースで思い出したってわけ。

盗 賊がヒーローであり、盗賊の青春を描いたこの映画は“ニューシネマ”と言われた。映画は1890年代、列車強盗の達人ブッチとサンダンスが主役。業を煮や した鉄道会社から殺し屋を送られボリビアまで逃げた。銀行強盗や用心棒をするうちに発見され、武装する警察にすっかり包囲され…。ストップモーションのラストシーンは衝撃的でした

あらためて聴くと、詩はこんなぐあいだ。

Raindrops keep falling on my head
and just like the guy whose feet
are too big for his bed
nothing seems to fit, those
raindrops are falling on my head
they keep falling

雨つぶがおれの頭に落ちてきやがる
でっかすぎてベッドからはみ出てしまうヤツみたいに
うまくゆかねえんだ、なんもかも。
そんなおれに雨つぶがバンバン降ってきやがる
(訳:郷)

ブッチとサンダンスは普通には生きられなかった。雨はそんな2人を懲らしめる「世間」のようでもある。うまく生きれない2人へ注がれる「冷たい視線」でもある。

ぼくは雨は嫌いじゃない。降り始めの雨はドラミングのようにけしかけてくる。汚れちまった自分を流す洗浄剤にもなれば、ポツンポツン…と睡眠導入の点滴にもなる。雨音はひとりを愉しむカーテンのようなもの。雨は自分を内側に向かわせる何かがある

歌の後段では、盗賊たちのナマの心ももっと描かれている。

Raindrops keep falling on my head
but doesn't mean my eyes will soon be turning red
crying's not for me, 'cause
i'm never gonna stop the rain by complaining
because i'm free

雨つぶが落ち続けてるけれど
それでおれの目が、泣きはらして赤くなるかって?
まさか。なぜっておれは「降るな雨!」なんてグチは言わない
なぜっておれは、自由だから

そこでぼくは「雨つぶ」を「雨」と勘違いしていたのに気づいた。詩人ハル・デイビッドはRainではなくRaindropsと唄っていた。雨だと、空と土地と心が濡れてゆく情景になるけれど、雨つぶというからには「落ちてくる何か」がある。

落ちてくるものはラストシーンにあった。彼らに降り注がれた銃弾こそ雨つぶだった。

だが「降るな雨!」とも「撃ってくるな!」とも言わず、彼らは潔く飛び出していった。なぜなら彼らは自由だったからだ。詩人は深く考えて映画の詩を作っていた。総合アートの中で言葉はこう活かすのか、と感動した。

最後に。今日も雨がポツリポツリ降ってきた。ちょうどブッチのように自転車に乗っていた。残念なことにエッタは乗せていなかった。そうか。雨つぶで左肩を濡らして歩くのも悪くない。ひとつの傘を愛する人にさしかけて…。愛する人の雨つぶを除ける誇らしさ。

|

« 蝉しぐれ〜染色体は音符になった。 | トップページ | 英語の美文に触れてごらんよ。 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/158074/46939260

この記事へのトラックバック一覧です: 雨にぬれても、誇らしければ。:

« 蝉しぐれ〜染色体は音符になった。 | トップページ | 英語の美文に触れてごらんよ。 »