戦車のロマン
旧日本軍が終戦直後に浜名湖に沈めた“幻の戦車”『四式中戦車チト』を引き揚げる“町おこしプロジェクト”の記事を読んだ。
言い伝えでは、米軍に接収されないように、浜名湖と猪鼻湖の間の、最も深い湖底に沈めたという。戦車は試作段階でたった2台しか製造されなかった。
見つかったとして町おこしなるかわからんが、興味を惹かれたワケはある。ぼくはプラモデル少年だったのだ。主に田宮模型ファンで、とりわけ1/35シリーズの戦車を作るのが好きだった。
ほとんどが第二次世界大戦で製造された連合軍(米英ソ)とドイツ軍の戦車である。何台作ったか覚えていない。ひょっとしたら一個師団分くらい作ったかも。記憶に残っているのはドイツのタイガー、パンサー、アメリカのM5、そしてソ連のT34である。
プラモとして興奮したのは断然タイガーである。この勇猛果敢な強靭な姿、戦車のくせに飛びかかってくる姿勢、まさに精鋭ドイツ軍である。ハマって1/35だけでなく1/25モデルも作った。砲台が回転しない“砂漠のキツネ”のパンサーはあざとい形。M5にはどこかアメリカの陽気さを感じたものだ。
一方戦車として傑作と言われたT34にはもえなかった。上の画像だが、そっけないデザイン、ぬめっとした砲台。ソ連という国の合理主義さ、共産主義の冷たさを体現していた。
だがその旋回する砲台の部分が「一体成型」で製造というのにビックリ。一体成型なら曲面ができる。飛んでくる砲弾を滑らせることができるのだ。しかしその製造にはとても大きな型がいる。日本の戦車チトが、試作で終わった理由のひとつが、砲台の一体成型ができなかったからだというのだ。
チトのプラモからわかるように「鉄板を貼り合わせた」構造。なんとか滑らかな一体成型にしたかったらしいが、遂にできずに終戦を迎えた。設備もなく素材も無い中、きっと開発陣は軍の上層部から無いものねだりされて、夜も昼も苦闘したんだろう。
だから旧日本軍のチト戦車には、悲壮な精神主義がみなぎっている。嗚呼…戦車って感じがする。
田宮の戦車には内部構造まで忠実に再現したモデルがあった。戦後の英国軍の戦車センチュリオンである。それを作って思った。こんな狭い空間に閉じ込められて戦うのはイヤだ。オトコむさいし、砲弾をブチ込まれて即死ならまだいい。燃やされてジワジワ焦げ死にかもしれないのだ。
それで戦車から関心が離れた。もっぱらクルマのプラモに転向した。チト戦車が引き揚げられたとしても“戦争放棄博物館”(そんなのあるのか)に展示してほしいもんだ。戦車にロマンがあるとしても、それは戦わない者の空想に過ぎないから。
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