ショップ・販促

2012年5月15日 (火)

自然体で売りたいならShopLocket

このちょい売りは実に示唆に富む。自分のブログやソーシャルサイトに「埋め込めるお店」なのである。ShopLocketは売り手の事情、買い手の気持ちをくみとってくれるサービス。

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2009年10月 1日 (木)

無印良品、それは暮らしのアトモスフィア

 今日はビジネスメディア誠に連載する“うふふマーケティング”へのリードと、閑話です。

“ブランド”ではなく“雰囲気”――無印良品の強みとは
1980年に始まり、徐々に支持を獲得してきた無印良品。幅広い世代の人気を集めているが、無印良品の魅力とは何なのだろうか。9月18日にリニューアルオープンした池袋西武店を訪問して、その理由を探った。 

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 当初は“無印良品、それは暮らしのアトモスフィア”というタイトルをつけていたのですが、わかりにくいということでボツ(笑)。でもわたしは“アトモスフィア”という単語に“愛着”があって、ブログのタイトルは原題にさせていただきました。

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 某デザイナー+良品計画によるカウチソファ。座り心地とデザインの良さ、サイズのぴったりさ。良品計画宣伝販促室の片寄美恵さんとの約束で、関わったデザイナーさんのお名前は書けません。わたしが最も尊敬し、フェチである、あのプロダクトデザイナーさんです。こんな値段ではフツーは買えません。“即買い”ですね。

 そのプロダクトデザイナーさんは、デザインするデザインはデザインじゃない、みたいなことを言っています。現代のモノ溢れの世界では、過剰さを削ぎ落とすところからデザインは始まるのだと。

 そう無印良品こそ、印(つまりブランドでありデザインであり家紋や印籠である)が過剰になってきた時代に、印って何だろう?いらないよそんなの、から始まったわけです。ムジラーたちはそこに共鳴している。今回はそんなことを書いたつもりです。

【スーパー後によろずやに出店してほしい】
 閑話休題。「セブン&アイ・ホールディングスは2013年2月期までに傘下に置くイトーヨーカ堂店舗の16%にあたる約30店を閉鎖する検討に入った。」今日の日経新聞のトップはこのニュースでしたね。衝撃が走りました。勝ち組だと思われたイトーヨーカ堂でさえですから。

 わたしは今日、やや遠いところにコンサル業で電車に乗りました。その行き帰りの車窓から見ると、イトーヨーカ堂、ダイエー、マルエツなどスーパーの数々があるんです。確かに多いなと思いました。

 政府発表の景況動向とは、経営者の見方や出荷時点データがベースですから、消費者のデフレマインドを計算に入れていません。売り手や売り心がアップしても、買い手が冷えたまま。それが今どきでして、PBにしても、消費者はPB商品を“仕方ないわね”と買うだけなのに、そこに経営資源を投下して目先の薄利を追求するのは、経営判断としてミスだと思います。PBの在庫の山を前にため息をつく、店舗の前線を見ていませんよ。

 だから店舗閉鎖やむなし、統合・合併やむなし。退店後には昔ながらの“よろずや”に出店してもらいたい。小規模で、地域に根ざした、店主の顔の見えるよろずや。コンビ二やスーパーのマニュアル接客はもう懲り懲り。そう思っていたら、ちょうど良い体験をしました。

【長い閑話】
 “紀之鉄商店”は地域に根ざしてるし、何しろ店主がわざわざやってくる。 

アートマルシェ神田(わたしとcherryさんが運用管理するギャラリー兼多目的スペース)のあるドアで、合鍵が必要になった。合鍵屋を探した。まず近所の駅構内にある、大手M店に行ってカギを持ち込んだら、こう言われた。「標準じゃありませんねえ、特注で2週間かかります」 明日必要なのに困った。そこでもうひとつの近所の駅の大手R店に行った。そこではもっとすげなく「この合鍵は作れません」。レアモノのカギを取り付けたリフォーム会社を恨んだ。

 途方に暮れていたら、ある人が近所の“紀之鉄商店”を教えてくれた。歩いて5分もしないところにある。ゆくと変わった店だった。店内にはインド音楽が流れ、入口にはお香が炊かれていた。備品も不揃いかつ個性的で、剥製があるかと思えば、海外のお菓子のパッケージが並んでいる。何よりそこの店主?らしいオトコが、30才くらいだろうか、漆黒の巻き髪に耳にはピアス、腕にはタトゥ。こりゃまずいかなと思ったが、わたしが渡したカギをじぃっと見て、あれこれとサンプルを探してくれた。やがて無いということになり、メーカーに電話をしたが、不明だった。 

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 「何とかしますよ

 彼はそういうとわたしに連絡先を訊いた。「ああ三和印刷さんね、あそこのカギはボクがやってますから」 出来たら届けてくれるという。わたしはおもしろいカギ屋がいるもんだと感動しつつアートマルシェに戻ると、ほどなく彼がやってきた。

 サンプルを作ってドアのカギをカチカチやった。「わかりました、もうちょっと調整すればばっちしです」。また三十分もしないうちにやってきて、確かにばっちしだった。複製カギができた。とても助かったし、とてもリーズナブルだった。 

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 話しが長くなったが、カギは特注なのにリーズナブル、しかも変わっている(笑)。超お勧めである(千代田区神田須田町1−7 3255-0670 店主の持田さんにはブログに書くとは伝えていない、ようするに宣伝なしだ)。ご近所のお店に感動したのが久しぶりだったので。こんなのは標準を追いつめてきた業態(スーパーやコンビ二)にはできっこないのだ。今日はそれが言いたかった。以上です。

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2009年4月21日 (火)

定額給付金で創造の種を撒こう!

 もはや巷の話題にもならない定額給付金が今日の話題です。なぜでしょうか。コピーを取るのを3日連続で忘れているからです。わたし、健忘症が年々激しくなっているゆえですが、さて、いったい何のコピーなのでしょうか? 

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 お金が頂けるのでありがたいのでムカっ腹は立ちませんが、正直、この国の政策ボケはわたし以上にボケてるかも。

【hmm…なアドバイス374.定額給付金で創造の種を撒こう!】
 定額給付金を受け取るためには2つのコピーが、我が自治体では必要です。ひとつは申請者本人確認。「運転免許証」「住基カード」「パスポート」「健康保険証」「年金手帳」「福祉手帳」「外国人登録証明書」。

 もうひとつは振込先金融機関の通帳のコピー!ええ!口座番号付きのコピーを役所に送るんですか!

 しかも! このふたつをひとつの封筒に入れて送るんです。しかも!それには「◯◯市定額給付金事務センター行」と朱書きされています(朱書きは嘘です_白黒です_笑)。身分証明と振込先のコピー。なんというパッケージ化された個人情報!それを書き留めでも何でもない封書で送る勇気、あなたにはありますか?

 つい先日、総務大臣から改善命令を受けたばかりの郵便事業会社を信用できますか?なんてキツいジョークで、さすがに郵便事業会社はOKとしても、この事業を受託している事務センターは民間企業。そこから情報が流出する危険性はゼロではないでしょう。あの大手M菱系証券会社でさえ、あのありさまですから。

【リスキーなレコメンデーション】
 総務庁は定額給付金の受付に、次の3ツの方式をレコメンドしています。

①郵送申請方式:振込先口座を記した申請書を本人確認書類とともに市町村に郵送し、振り込みにより受給
②窓口申請方式:振込先口座を記した申請書を窓口で提出し振込により受給
③窓口現金受領方式:申請書を窓口で提出し、現金により受給

 我が自治体は①を採用したようですし、隣の自治体であるcherryさんも同じです。窓口も現金も事務は煩雑かつリスキーなので、①が大勢でしょう。

 どんな経緯・根拠・暗算で825億13百万円をはじいたのか、つまびらかに知りませんが、配布対象ひとり当たりに直すと600円くらいになるはずです(桁間違いがなければね_汗)。

 自営業になって役所を訪れる機会が増えて思ったのは、あんがい役所は対応事務合理化に熱心で、テキパキしていました(失礼)。役所=サボりというイメージとは遠かったですよ。現場で改善している彼ら、国から降ってくる仕事が、一給付金トランザクション=600円。時給換算でそれっていくらなの?と言いたいだろうなと思いました。 

Weakな政権の選挙対策=思いつき政策と、中長期で実施すべき施策との間に“断絶”を感じている関係者は、とても多いと思います。

【ハハチチババジジオジオバ】
 1.2万がどのくらい消費喚起になるかわからないけれど、小売業は考えつく限りのセールをします。 

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 引用元 産経ニュース  他

 小売り業のホンネはこうなんです。“何でもいいからセールの話題が欲しい”。とにかく話題に飢えているし、注目を喚起したいだけ。セールのきっかけがあれば、母だろうが父だろうがババだろうがジジだろうがオバだろうがオジだろうが、年金だろうが一時金だろうが脱税だろうが(まずいね_笑)いいのです。小売業は理由なき話題を求める習性がある。それを景気アップとみるのは違う。 

市町村でタイミングもバラバラ、ターゲティングもナッシング、お小遣いありがとう、貯金するよ。だから選挙対策にもならんぜ。1.2万円の景気不要(いや浮揚)対策、効果あったぁ!なんてウソ統計はやめてもらいたい。愚策と謝った方があんがい現内閣の支持率は上がるかも(保証しませんよ_笑)。

【hmm…なアドバイス】
 わたしの定額給付金をあてる購入は帽子です。帽子デザイナーの山之井美穂さんの一品もの。1.2万では足が出ますが、同じものはひとつも無い。街でそれを被る人を見かけたら、それはわたしです。サインはもらえます。特に喜びはないですが(笑)。 

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 定額給付金、「創り手の顔が見えるクリエイティブな作品・手づくり品」にあてるのはどうでしょうか。才能あるクリエイターさんの支援に。わたしたちのビジネス(デザイナー作品販売)で買ってもらわなくてもいい(買ってもらえれば尚いい_笑)。創り手たちが、こんな不況下でも品質を落とさず精魂込めている品の良さを広めたい。 

創造の苦しみ・迷い・ひらめき・創る技術、そんなクリエイターさんの活動への“喝采”をすると、次世代に創造の種を撒くことになります。今日は以上です。

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2009年2月 9日 (月)

今、ユーモア広告を!

 相棒cherryさんが通うパン教室の先生、高橋雅子さんが新たにベーグル&カフェのお店を代々木八幡に出されます。オープンは来週2月21日の予定。ベストセラーをいくつも出されている高名な先生のお店に、クリエイター作品販売のutte事業で、あるお願いをしています。その打ち合わせで訪れた代々木八幡の新店舗、とってもキュートなお店でした。

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 帰り道(地下鉄)で、cherryさんと“ベーグル”の話しをしながら帰りました。「堅いよね、ベーグルって」とわたしが言うと、どうやらそうでもないという。ゆっくり発酵させれば、じんわりほんわりのベーグルもできる。そんな話しの記憶があるところに、このフランスパンの広告を観ました。

【hmm…なアドバイス317. 今、ユーモア広告を!】
 ベーグルは堅いが、フランスパンは衝撃に強い(そうだ)。

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 たしかに皮は堅いですよね。ハジというかヘッド部分は特に堅い。昔のフランス映画で(ルイ・マルか、誰かかなあ)、フランスパンを杖がわりに歩く子どもの姿の映像が焼きいている。杖にしても折れないんですよね。でも強さだけではないんです。しなやかでもある。

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 これは自動車メーカーのCMで、最初の衝撃テストでエントリーするのはフランクフルト。反った姿がドイツ人ぽく強そうに見えるのですが、衝撃でこっぱみじんに爆裂しまふ。ドイツ車って強そうなのに!

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 次なるは“巻き寿司”です。これを衝撃テストにもってくるのは、かな〜り販促、いや反則ですが、まあフランスのエスプリなんでしょう。日本車って巻き寿司のイメージなのでしょうか? マグロやタマゴなど生もの炸裂、寿司メシがこびりついてたいへんだ。あとの掃除を気にしちゃいましたし、さて恵方巻をタテにぶつけると、どうだろふかとか(余計なお世話)。

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 最後はルノーの車はなんちゃってで締めるこのCM、いやあ、久方ぶりのヒットです。おもしろいや。各国の経済クラッシュにも似たようなことがいえるなら、ドイツはソーセージ経済で中身の燻蒸しだい。日本はナマモノ経済で、その日その日でネタを巻く、首相発言がしっくりきますね。

 肝心の米国は、あんがい“ベーグルのように堅固”だったりして?

【おもしろエレベータ・シリーズ】
 オモシロ広告をついでに。エレベータです。わたしゃ(cherryさんによれば、かなり)せっかちなので、ドアの開閉スピードなどを遅くするボタンのついた、“シニア社会向け”エレベータがイライラしゃって。こんなユーモアがあれば、イライラも低下しそふ。

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もちろん映画のPRです。

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これも某映画にありがちなPRです。

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どうやら冷蔵庫のPRらしい。

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おと狭い。メタボリック退治には狭いほうがいい? 

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・・んなときは、やっぱ力でこじあける?

5
 いや、階段を使いましょう!

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 水族館エレベータは楽しい! 引用元

【hmm…なアドバイス】
 今日は(月曜日なのに)いつになくcherryさんとバカ話しばかりで、大笑いが絶えませんでした。内容は思いだせないほどくだらないのでやはり思いだせない。utteのオフィスの薄い壁を隔てた隣りには、元は階下にいたテナントさんが仮住まいをしているのですが、さぞうるさかったろうな(笑)。

 そんな日だったので、今日はユーモアをテーマにしたいなと思いました。それにしても、こういうご時世だからこそ、 センスの良いユーモア広告が効きますし、求められている。暗いニュースや年長者の“がんばろう、大丈夫だよ”なエッセイばかりで食傷気味だから。厳しいご時世、広告マンもがんばろう!今日は以上です。

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2007年12月 7日 (金)

“うふふ”マーケティング こぼれ話 贈り物は参勤交代を越えて。

ビジネスメディア誠に書いた『贈る人も贈られた人もわくわくできる――“仙台小箱”に隠された秘密』。その大当たりを知ったのは昨年(2006年)の中元だった。その頃ブログにもちらりと取り上げたことがあった。なぜ単純な三段重ねにしただけの贈答品がヒットしたのか?疑問に思ったからだ。そのときは深く考えず書き飛ばしたけれど、疑問はそのままだった。

【大ヒットの数値を振り返ると】
大ヒットを数値でまとめておくと、次の通り。 

 06年 中元 9700個
 06年 歳暮 2万6000個
 07年 中元 (未確認だが1万個超は間違いない)
 07年 歳暮 目標2万9000個(asahi.comのニュースより)

百貨店自体の規模も違うし、取扱品種の数量も違うので東京など大都市の百貨店とは比較はしにくいが、「3000個も売ればヒット」といわれるぐらいだから、そのヒットぶりは凄い。藤崎の今年のお歳暮のカタログには仙台小箱が実質的に先頭バッターである(見開きで黒澤一門米、仙臺味噌、福治郎の納豆のこだわり商品紹介が各1ページあるが)。破格の扱いである。その後のページも派生商品の仙台じまん、仙台日誌、仙台ゆらり(母宛に一品申し込んだ)と続いて、一般ギフトになる。売りの序列がはっきりしている百貨店ならではである。

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 http://jyoho.kahoku.co.jp/member/backnum/news/image/img/news/2007/20070530011jb.jpg

【小箱のヒットは百貨店の原点の競争力向上に通じる】
ヒットの良いところは、企業の競争力の原点を呼び覚ますことである。

百貨店という販売業態には“縛り”がある。製造元と販売者の“綱引き”と言い換えてもいい。百貨店の商品バイヤーが自らの目利きで商品を選定し、自主企画を売る場でありたい。それが百貨店としての使命でもある。

だが百貨店の商品への目利き力が落ち、売上が落ちると売場の主導権が製造・供給元に移る。百貨店がテナントの場所貸しになってしまう。場所貸し勝負となると、デベロッパーの運営するショッピングモールに遠く及ばない。数百年生き延びてきた百貨店業態が廃れつつあるのは目利き力が落ちたからである。

仙台小箱は自らの目利きでチョイスするパッケージングの点でも、百貨店という業態の本来への回帰となった。これこそ藤崎だけでなく、他の百貨店が財産にすべき点であろう。

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 原点は『新三越本店』 山口晃氏作品
 http://em.m-out.com/ec/html/item/001/001/item767.html

【わくわくも下心あると嫌な気持ちになる】
「ヒットのなぜ」について、贈る人ともらう人の心の接点から書いたのが誠への寄稿である。

わたしがわくわくしたのは「何が来たのだろうか?検分しよう」という浅ましさだけでなく、小学生の分際で三文判とはいえ“一家を代表して”判子を押すことにもあった。そんな機会は中元とお歳暮ぐらいしかなかったからである。母も兄もいない、シンとした部屋の畳の上に、お歳暮や中元を重ねる。眺める。そして中身を検分する。ギフト券や電子ギフトポイントを否定しないけれど、あのときの“頂いた”という感じには遠く及ばない。

一介のサラリーマンだった父に、とりわけたくさんの中元・歳暮が届いたわけではない。そのころ(昭和40年代くらい)まだ盆暮れの贈り物習慣が当たり前の時代であったから、世間並みには届いていた。電力会社でダムや橋梁を設計し、現場所長をしていた父には、発注主の現場代表として協力業者さんからのお届けが多かったかも知れない。

だが一度だけ、父は頂いた贈り物を贈り主に突っ返したことがあった。

子どもの時分なので詳しくは覚えていないが、ひとことで言えば「賄賂」だったのであろう。あるいは貰うとある約束をしなければならない縛りがあったのかもしれない。「これは送り返しておきなさい」と父は母に言った。頂き物は高価なものだったはずだ(賄賂なんだから)。だが惜しいと思うよりも、その時は父よりも先に中身の“検分”をしていなかったことにほっとした。

贈り物には良い物もあれば悪い物もある。最近の某省の贈賄事件だけではなく・・・。

【恋人同士のギフトでも・・・】
だが贈り物なのだから、根は良いはずである。クリスマスはその最たるものである。ジムだってデラだって(O・ヘンリーの『賢者の贈り物』の夫婦)相手を思えばこそすれ違ったのだから。

恋人同士の贈りあうギフトも、お互いを知るはずなのに、考えれば考えるほどむつかしい。相方は喜んでくれるだろうか?相方は持っていないだろうか?相方はいつかXXXが好きだと言っていたが、口先ではないだろうか?

数々の疑問が、「わたしは、相方のことを、実はどこまで知っているのだろう?」につながる。何(十)時間も考えて「これ!」と思って買った品が、必ずしも喜ばれないばかりか、ギャップを露呈させることもある。その時、贈り物は残酷なリトマス試験紙になる。

むしろこう考えよう。感じ方、価値観、生まれ育ち、性格、好き嫌い、生き方・・・いろいろなことに、すれ違いがあったとしても、贈り物はそれを知るきっかけにもなる。ギャップは明らかになるからこそ埋めることもできる。

・・・と考えれば、すれ違いを楽しむのがほんとうの贈り物なのかもしれない。儀礼ギフトもしかり、パーソナルギフトもまたしかり。賢者たちの教えは普遍的なのだ。

今回の連載、果たして読者への贈りものになっただろうか?書き手とのすれ違いも微笑んで済ませてもらって、来週もまた読んでいただくという“参勤交代”になればよいけれど。今日は以上です。

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2007年12月 6日 (木)

贈る人も贈られた人もわくわくできる――“仙台小箱”に隠された秘密

今日はビジネスメディア誠に連載している“うふふ”マーケティングへのリードです。

郷好文の“うふふ”マーケティング:
贈る人も贈られた人もわくわくできる――“仙台小箱”に隠された秘密
儀礼ギフト市場が縮小する中、異例のヒットを飛ばしている人気の商品がある。仙台の百貨店が販売しているもので、名前は「仙台小箱」。他のお歳暮・お中元と何が違うのか? ヒットの理由を解き明かしていこう。

贈り物は、ときに厄介なもの。相手の好みを知っているならまだしも、仕事上の(表面的な)付き合いしかない人、就職の世話をしてくれた父の知人、結婚以来ほとんど会わない仲人さん・・・こういう人々への贈り物は儀礼レベル9.5ぐらいである(10点満点中)。儀礼感情が高まれば高まるほど、贈り物選定に“勘定”が入ってくる。つまり・・・気持ちよくないのである。

マーケットとしは儀礼ギフトは廃れ、その分パーソナルギフトにシフトしてきたと言われて久しい。だが儀礼もパーソナルもきっちり分けられないこともある。礼もあれば付き合いもあるし感謝もある。恋人同士のギフトでないかぎりアレコレ悩むことが少なくない。

ン、まてよ・・・たとえ恋人同士のギフトだって、贈り合ったものがすれ違いのきっかけになることだってあるだろう。O・ヘンリーの『賢者の贈りもの』のような美しいすれ違いではなく、ギフト品の選び方相方とのギャップを見つけたり、“生まれや育ち”を見透かしてしまってちょっと冷めたワ・・・なんてことがありますよね(わたしだけではないはずだゾ)。

明日はそんな贈り物のこぼれ話をいくつか。今日は以上です。

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2007年9月28日 (金)

Video Logo /“うふふ”マーケティング こぼれ話

またしてもドジをしてしまった。

Busines Media誠に書いたテーマ「Anne's fitting show」で、わたし自身がホログラムのように新宿をさまよってしまった。新宿高島屋で行われた「The view of UNTITLED」のイベントをこの目で観よう、錯視はしないぞ!と意気込んで出かけた。1階コンコースの柱にはたくさんの杏さんがいる。おぉ!ここだ。やってるぞ。

 Dscf1273 イベント「前日」の風景。

と、高島屋の入口の前につくと。黒いイベント小屋のようなボックスがある。「The View of UNTITLED」とある。ここだ。間違いない。だが・・・なぜか真っ暗なのである。何もやっていない。しかもkeep outの柵さえある。パンフレットを配布する什器はあった。ポスターもあった。よく見ると・・・。

あらら。今日は20日、イベント初日は21日。わたしは開始の前日に行ってしまったのだった

【Video Logo /“うふふ”マーケティング こぼれ話 】
知る人ぞ知る・・・わたしはドジ多き男なのである。むかし「ドジ踏み」と呼ばれたことがあった(本名よしふみ)。イベント前日という、自己脳内ホログラフィのエジキになったわたしは、めげずにその翌日新宿に行き、杏さんの幻を堪能した。

広告もファッションもうつろうものだから、ホログラフィックな仕掛けがよく似合う。広告はネオンサインの昔から、電磁石の反転式のボード(パラバラ・・・と黒と白が入れ替わるもの)、そして屋外の大画面まで、目立たせるために、その情報量を加速度的に増加させてきた。

広告はそれでよい。だが企業ロゴがうつろうのはどうなのだろうか?デンマークのデジタル広告制作会社viZooは、Free Format以外に「Video Logo(ビデオロゴ)」というサービスも展開している。それは「動く企業ロゴ」なのである。

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【企業ロゴが動く】
viZooのHPにいくつかショウケースがある、「MTV/music television(音楽ビデオがMTVの文字の背景にうつろう)」「vodafone(サッカーシーンが躍動する)」「Lexus IS (燃えるゴールドのイメージがスピード感を誘う)」などが掲載されている。ビデオコンテンツは、企業やブランドを反映してそれぞれ特徴がある。

 Logo04  Video Logo(TM)
 このサイトに事例がたくさんある。http://www.videologo.us/showroom/showroom.htm

従来のピカピカ光るネオン広告や、ボード系のサイン広告とはまったく異なるリアルさがある。店舗のVMD(ビジュアル・マーチャンダイジング)という概念とも違う。装飾というよりも、観る人にロゴが語りかけてくるような感じがする。

もちろんVideo Logoは表示デバイスが無ければ動かない。今の技術では電子ポスターでというわけにはゆかないだろう。カンバンや店内に装置を付けなくてはならない。だからサイン広告の一種ではある。

【企業ロゴとは何?】
ほんらい企業ロゴとは「しっかり」と消費者にイメージをもたせて、記憶させ、潜在意識に定着させるものであった。店頭で商品を手に取るとき、ステータスや信頼や安心やコストパフォーマンスの「堅い約束」があったはずだ。

だがVideo Logoは違う。SONYウォークマンなら、ロゴが歩いてどこかに去ってしまうなんていい。エビスビールならロゴから旨そうな泡があふれて出てくる。ハーゲンダッツならスプーンでロゴがだんだんとスクープされて、最後には消えてしまうなんて良さそうだ。

 Photo
 苦労したわりに出来が悪い。ごめんなさい。

とすると、ビデオロゴにしやすい会社、なりにくい会社がありそうだ。スターバックスのロゴが、いつも豆が挽かれていてガァ~っと音をたてていてほしくない。日立グループ連結何百社のロゴの幹が、ずずず・・・と集まって「この木何の木♪木になる♪木になる・・・」というサウンドが流れるのでは、いつもで耳につくので。

【勝手にアドバイス】
企業名を絶えず動かし、見る人を、また見る時間帯により、イメージを絶えず変化させる。そうなると企業ロゴは、あいまいなコーポレイト・イメージ表現ではなく、もっと具体的なコーポレート・メッセージの表現媒体となる。

1990年前半のバブル期にCI(コーポレイト・アイデンティティ)と称され、企業ロゴづくりに何千万円も投下された信じられない時代があった。あそこにもどってはならない。企業なぞ、収益性が低下すれば無形資産も有形資産も帳簿価値が下がる。不祥事があればゼロになる。企業イメージなぞうつろいやすくモロいものだ。Video Logoの根底には、そんな冷めた視点があるのかもしれない。今日は以上です。

 Visoo
 viZoo社自身のロゴはビデオではない。

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2007年8月31日 (金)

お客様行動の謎 5.顧客行動は共鳴ゆえ?

今週からタイトルを衣替えした「お客様に相談室」。お客様の行動の謎ということで、「お客様は左回り」「奧隅と眠りのパーソナルスペース」「マーキング行動」「いらっしゃいませ」を取り上げた。

だがお客様の謎は他にもある。エスカレータで登る人と登らない人がいる謎。レジについてからゆっくりとお財布を出す人もいれば、レジに行く前に小銭まで用意している人。返品やクレームで、難癖をつけるのはだいたい決まった人。

・・・・そして行列という、時に想像を絶する長時間を堪え忍ぶ謎の行動もある。

前にこのブログで取り上げた「行列マネジメント」について、再び取材を受けた。その座談の中で取り上げられたアンケート調査で、「その行列が何の行列かわからないけれど、ただ並んでしまったことがある」という行列体験に話題が及んだ。文字通り「そこに行列があるから並ぶ」という性癖と暇がある人が、当該アンケートでは2割に及んでいた。

この2割の行動をどう読んだらいいのだろうか?一見して理解不能である。

よく考えると、行列には「共鳴行動」というものが作用しているのではないか。そう思い当たった。共鳴行動とは「人は時空を越えて共鳴して行動している」というものである。お客様行動の謎の最終回の今日は、共鳴について考えてみたい。

【お客様に相談室 お客様行動の謎 5.顧客行動は共鳴ゆえ?】
さて、ちょうど大阪で行われている世界陸上選手権ではさまざまなドラマが生まれている(これを書く今日は2007年8月31日だ)。

期待通りの成果を挙げた選手もいる一方、記録なしで落選という結果に終わった人もいる。結果はともかく-。

 Tonda

【現場オーラ】
スポーツ競技場では、場の磁力ともいうべき力がある。プレーする選手やチームから発せれるオーラもあるが、贔屓の選手やチームへ応援する団体と、対峙する選手やチームを応援する団体との押したり引いたりのオーラもある。テレビやネットからでは絶対に伝わらないのが、その現場オーラである。

現場オーラはスタジアムで共有する不思議な「共通体験」である。ああ、今日のゲームはよかったな。あのまま終わると思ったのに。あそこまで彼ががんばるとは思わなかった。そうだよね、意外だった。でも長谷部がもうちょっとしっかり走ればゲームはすんなり終わっていたのに・・・(すみません、つい浦和レッズの話に流れました)。スタジアムからの帰り、そういう感想を口々にするだろう。それを共鳴と呼ぶ学者シェルドレイク氏がいた。

【シェルドレイクの共鳴理論とは】
この説をひと言で言うと、『生物の同一種が同じ形態になるのは、形態形成場に時空を超えた共鳴現象が起きることによる』というものである。

これは形態に限らず、行動パターンにも現れ、数が多いほど顕著になるといいます。それを生物に限らず、さらに一般化すると、形というものは、遠く離れたところへエネルギーを抜きにして働きかけ、同じ形を生み出す力を持っている。関係の深いもの同士が共有し、離れていても作用しあう、目に見えないつながりがある。
引用元 http://www.ukinfo.jp/culture/sheldrake.php

シェルドレイク氏はさまざまな実験をしてその仮説を立証した。ロンドンの実験室でラット千匹にある行動パターンを学習させると、おかしなことにニューヨークで同じ種のラットにその行動パターンを習得させる時間ははるかに速くなるというのだ。

同じことを人間にも適用して実験した。クロスワードパズルの例は、新聞に出る前にパズルを解く時間と、出た後に(初めて)解く時間が短くなる。隠し絵にからんだ実験でも、テレビ放送前と後では、隠し絵の認識率に大きな差異(もちろんテレビ放送後が高い)があった。

つまり同じ種(人間)なら、同じ行動パターンを「時空を越えて」示すというものである。

わたしはスタジアムというすり鉢状の形状がこの共鳴に強く作用していると、かねて思っている。コロシアムの昔から競技場は囲まれるカタチである。あのカタチに秘密があるのではないだろうか。

 A03 有明コロシアム。

【シンクロニシティ】
時空を越えてとなると、そうだな、と思うのはひとつはコンビニである。朝っぱらでも、急に行列がのびだすことがある。その日の気候が作用するのだろうか?銀行のATMでも(昼休みでもなく、給料日でもないのに)ある時間帯になぜか行列がのびる。みんな現金が必要なデートとか買い物があるのだろうか?そんなことを訝しんでしまう。行列が行列を呼ぶ、みたいな感じである。

その現象を心理学から「シンクロニシティ」として説明したのは心理学者のユングである。

シンクロニシティとは、何か二つの事象が、「意味・イメージ」において「類似性・近接性」を備える時、このような二つの事象が、時空間の秩序で規定されているこの世界の中で、従来の因果性では、何の関係も持たない場合でも、随伴して現象・生起する場合があることをいう
引用元 http://bloom.at.webry.info/200612/article_1.html

シンクロニシティの最たるものは「恋愛」である。わたしは愛を語りだすと止まらなくなり、脱線しまくるので、今回は止めます。でも気心が通じている(と信じている)人とは、どこかでつながっていませんか?逆に言えば通じなくなったときシンクロニシティが無くなりませんか?わたしはそれが、生の言葉よりもより強くつながっている時があると思う。みんながシンクロニシティを信じれば、恋愛沙汰が原因のストーカー事件や殺人・自殺事件はなくなる(特に男性はそうだ)。

 3203041680  再結成されたポリスの往年の傑作。

【お客様同士の共鳴】
お客様の共鳴から少し脱線したが、お客様内の共鳴にはいくつかの種類がある。

 物理的共鳴
 言葉の共鳴
 場の共鳴 
 電子的な共鳴

物理的な共鳴とは、やや明け透けな喩えだが、バーゲン会場での同一品の取り合いだと思ってほしい。抗争であるので共鳴というより、競鳴と言えそうだが、あそこでセールがあるということを、アナウンスだけでなく嗅覚でかぎつける人も多い。これは共鳴現象である。

言葉の共鳴とは口コミである。あそこでXXXが安いわよ。そういう情報がチラシもなく伝わることがある。場の共鳴はスタジアムがショッピングモールやデパートになったと思えばいい空間である。電子的な共鳴とは、ブログに代表される電子網上の喜びや囁きや怒りや独り言の伝言媒介である。

こう書いてきてひとつ思い当たることがある。売れる場と売れない場の(売れなくなった場)の共鳴現象である。現場に立つ人は、風に当たるようにそれに気づくと思う。競合店出店、品ぞろえの悪化、サービスの劣化、価格競争力の低下・・・・いろいろな理由があって売れなくなる。

実はそのことをお客様も「共鳴して」知っている。

そこの売場ないし店舗が劣化しているということを。誰に言われなくてもそれを肌で感じている。では、誰から、何からそれが伝わるのだろうか?それは共鳴と言わずにどう説明できるだろうか。

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このテーマ「お客様行動の謎」は以上です。まだまだ掘るとおもしろいテーマなので、アンケートなど消費者=お客様の声を交えて深め、別の連載企画/書籍化を提案をしたいと思っております。

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 今週は疲れたぞ。う~んとノビとアクビしちゃおう。カワイイ。

同僚のYukaさんから猫写真のご所望があったので、本文と何の関係もなく(笑)掲載しました。写真は(勝手に)和の師匠 毬詠さんのページから無断転載しました。見つかったらまた怒られます。ごめんなさいと先に謝りつつ、次週は素敵な切り絵作家さんもテーマにしたいので、そのとき合わせて連絡いたします。
http://www.a-yarn.com/marie/

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2007年8月30日 (木)

お客様行動の謎 4.「いらっしゃいませ」で去っていく

みなさんは一日に何回、いらっしゃいませの洗礼を受けるだろうか?

指折り数えて、普通に会社のある駅に着き、コンビニに立ち寄り、2~3度のいらっしゃいませの洗礼を浴びる。ランチにも数度浴びる。スターバックスかタリーズでカフェをすればまた浴びる。夕方にショッピングモールに立ち寄れば、それこそ何十回もいらっしゃいませシャワーを浴びて、家路に着くことになる。

だがそれを浴びて、清らかになっているだろうか?

清らかになってないとすれば、「いらっしゃませ中毒」になるのだが。これだけ浴びてもまだそうはならないところをみると、いらっしゃいませ自体に効果があることを疑ってしまう。むしろすでに「いらっしゃいませ鈍感症」になっていて、聞き過ごしているだけかもしれない。

一日何十回の「いらっしゃいませシャワー」の中で、「ああ、これは良い『いらっしゃませ』だったなぁ」が何度あるだろうか?

 Manekineko103001001  3日連続の猫(笑) 玄関マットです。
 http://www.joaf.co.jp/nobori-new/genkan-mat/genkan-mat-welcome-.html

【お客様に相談室 お客様行動の謎 4.「いらっしゃいませ」で去っていく】
わたしはたくさんのいらっしゃいませシャワーを浴びても、一度も感動する「いらっしゃいませ」に遭わない日がある。むしろ耳障りな、魂こもらず、マニュアルぽい、とって付けたような・・・という苛立ちを隠せないあいさつが多い。むしろ言われないほうが静かでいいのよ。どうしてそれがわかってくれないの?そう言いたい。

たぶんわたしだけではない。ショッピングモールでお客様をぼんやり見ていても、いらっしゃいませという声かけで逃げていくシーンをたくさん目にする。それでも店員は「いらっしゃいませ」を言うのだ。それがマニュアルだからか、手持ちぶさただからか・・・。

【気に障るいらっしゃいませフレーズ】
好き嫌いに個人差があり、特定企業をあげつらうわけではないという前提で、いくつか嫌いな例を挙げよう。

まず「いらっしゃませ」と「こんにちは」のセットが好きになれない。なぜ「いらっしゃませ」だけではダメなのだろうか?あるサイトを読むと、「あなただけへのメッセージ」のために、わざわざ「こんにちは」をつけているという。しかしその場合は、お客様も「こんにちは」と言葉を返さなくてはコミュニケーションにならない。果たしてお客様は「いらっしゃませ」時点でコミュニケーションをとりたいだろうか?

いらっしゃいませの連呼も気になる。店のみんなでお迎えするという意味なのだろうが、違う作業をしていてお客さんの方も向かずに言葉だけ連呼されても、何も嬉しくない。「ありがとうございました!」の連呼にも同じことが言える。

要は空々しいから、いらっしゃいませに心がこもっていないから気に障るのである。お客様はコミュニケーションを取りたいのかといえば、常連かそうでないか、買うのか見るだけかなど、ケースバイケースである。ならば通りすがりにひと言小さな「いらっしゃませ」のひと言ぐらいでいいのに。

接頭語も気になる。「ようこそ○○○○へ」のフレーズは、どうも空々しい感じがしてわたしは好きになれない。「ようこそ」と言われるほど大枚もはたかないし、長時間いるわけでもないのに。

【あいさつにプロフェッショナリズムがない】
なぜ耳障りなのだろうか?それは職業とあいさつが分離してしまったことがあると思う。

わたしの叔父は地方で商売をしている人だったが、その彼が初めて上野アメ横を訪れたとき、あの威勢の良い売り口上に聞き惚れて、その場から立ち去れなかったという話を聞いたことがあった。「まぐろまぐろまぐろまぐろまぐろ・・・・」という連呼で、だんだんと値が下がっていき、底値に達したとき、囲んだお客さんから「買った!」と声が掛かる、あの掛け合いである。

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この売り手のいらっしゃいには「職業呼吸」ともいうべき、リズムがある。商売に根ざしたいらっしゃいがある。買い手の呼吸がそこに合えば、聞いているお客さんみんなが気持ちがいい。

アメ横まで行かなくとも、(減る一方の)商店街の八百屋や魚屋の「らっしゃいらっしゃいらっしゃいらっしゃ~い!」にも職業呼吸があった。いらっしゃいと商売がしっかり結びついているから、いらっしゃい!のあとに「今日は良いカジキが入ったよ」というお薦めが自然に結びつく。お客さんも「じゃ買おうかしら」と合いの手をつい入れてしまうじゃないですか。

こういう例もある。アメリカでNBAの試合を観ているとピーナツを売りに来る。たいがい黒人だ。彼はこれだけを言う。「ピーナツ!ピーナッツ!」 そしてピーナツを買いたいお客さんが手を挙げると、そこに向かって(バスケットのシュートをするように)ピーナツをポンと投げるのだ。お客さんはそれをキャッチする。そこには言葉は少ないがプロフェッショナルな呼吸がある。

 Nba320 NBAです。

【職業呼吸が失われた】
いらっしゃいませをコミュニケーションとするためには、ここに挙げたようなお客さんとの呼吸がなければならない。それがまったく無いのに、一方的に(マニュアル/教育研修通りに)「いらっしゃませ」を連呼するから、お客様は引くのである。

チェーンオペレーションが増えて、「いらっしゃませ」と言う労働者が経営と分離してしまった。だからあいさつも教育のメニューになった。教育が行き届かないとあいさつが絵空ぽくなるのでお客さんも耳障りになる。こういうことは言えるだろう。

だがいらっしゃいませが一方的になったのは、決して教育の不足だけでないと思う。職業に誇りを持つ労働者が少なくなったということもあるのではないか。お客様のことを考えない店員が多くなったのではないだろうか。だから、職業(商売)ごとに接遇は異なるべきなのに、画一的に「いらっしゃいませ」文化が浸透しすぎている。

いらっしゃいませで引かれるのは、ひとつには職業呼吸が失われたこと。これは経済の潮流で仕方ないとしよう。だがもうひとつ、プロフェッショナル呼吸も失われつつあるのが、サービス業で気にあるところである。

 Arch_2 商売の原点を学ぼう。

【お客様の気持ちを先読み】
すべてはお客様の気持ちを先読みできるかどうかにかかっている。いらっしゃいませを最初のコミュニケーションにしようとするなら、そこに来るお客様の気持ちを考えて工夫をしたい。

本屋ならば静けさとBGMだけでいいので、いらっしゃいませはいっさい不要。焼きたてパン屋ならば「いらっしゃませ!ただいまパン・ドゥ・ミーが焼き上がりました!」。美容室であれば「こんにちは、まず今日は、どんな髪にされたいか、お聞かせいただけますか?がいいかも知れない。今日は以上です。

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2007年8月29日 (水)

お客様行動の謎 3.マーキング行動

昨日(2007年8月28日)から少し涼しくなり、ほっとひと息つけました。わたしの老婆も言っておりましたが、昔は30度と言えば猛暑、それが今や40度だからね、と。毎年暑くなる地球を思うと、個人の小さな行動の積み重ねが必要なことは明白です。わたしもエコバッグを買い求めて使いだしました。

小さな行動といえば、こうして(ほぼ)毎日マーケティングのことを考えるのも小さな行動です。しかしそれを見ていて(読んでいて)くださる方もいるもので、今日はある件で取材も受けました。お世話になりました。また別の会社から拙文のお申し出も頂きました。ご縁を大切にしたいと思います。

ブログを書くというのは、たとえれば、ウェブの世界にマーキングを残すことでもあります。個人の思いを文に書いたり写したり絵に描く。無限大のネット空間のどこかにそれが残る。ちょうど猫のマーキングのように「わたしはこれが好き!」という「URLの道しるべ」。それが巡り合わせで誰かに伝わる。マーキングとマーキングが出会う。力が生まれる。

さてお客様行動の謎と題して書き出した今週の「お客様に相談室」は三回目。お客様の行動はマーキングに似ている、ということを考えたい。

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   わたしの買ったスーザン・ベルのエコバッグカラー

【お客様に相談室 お客様行動の謎 3.マーキング行動】
マーキングといえば猫や犬がおしっこを電柱や壁に引っかけたりするアレである。飼い猫は家の中のあらぬ場所におしっこもする。おしっこ以外にひっかく行為もそれだとされる。

 Tora_chibi0306  おっと後ろに。
 引用元 http://tabineko.seesaa.net/archives/200605-1.html

マーキングは動物に備わる本能的な縄張り宣言行動である。だが近頃の室内犬や室内猫(という言い方はなぜかしない)は、室内で飼育されるため、屋外を縄張りとは思わないそうだ。散歩に出た犬はすでに他の犬がひっかけた後の電信柱にさらにオミマイするのだから、それは縄張り宣言ではなく、他の犬への伝言板なのだという。「今日オレはここを通った」「うん、わかったよ、わたしも通ったよ」という「かけ合い」なのだ。

マーキングには「縄張り」と「伝言板機能」がある。

【マーキングは変化の後に】
マーキング行動の本質は「変化に対応して本能的にやる」ものである。縁があってその家に飼われたときが最初の変化で、まず実施検分をしてオミマイをする。躾けがしっかりなされるか、あるいは飼い主が諦めたとき、マーキング行動は落ち着く。だが何らかの変化が訪れたとき、新たなマーキング行動が表れる。たとえば次のようなもの(カッコ内は例)。

 ・同居猫の階級の変化(子猫が生まれた、新しい猫がきた)
 ・同居人間の変化(カレシが居候し始めた、子供が生まれた)
 ・新しい家具などの購入や間取りの変化(ひっかき甲斐のあるソファ)
 ・猫用の家具の購入や間取りの変化(キャットタワーの新規導入)
 ・部屋の匂いが変わる(普段と違うカノジョの異なる香水)

身のまわりの変化に応じて、新たにマーキングをオミマイする。だから「最近、ウチの猫ちゃん、オミマイするの。ちゃんと躾けしたつもりだったのに・・・」と嘆くのは筋違いかもしれない。猫ちゃんは変化に対処しているだけで、いずれ落ち着くのである。
この項の参考&参照サイト http://www.arks.com/arks/kankeigaku.html

【ホモ・コンシューマのマーキング行動】
ホモ・コンシューマ(買い物人)もまたマーキングをする。すべてのホモ・コンシューマがするかどうか断定はできないが、つぶさに店舗観察をすると、大なり小なりしている。

流通業で聞いた話。何も買わないのに毎日のように来店し、特定のフロアを一周するお客様がいるそうだ。ふ~んと興味を惹かれて尋ねた。「どんな人ですか?」「たいがいはお婆ちゃんですね」。その店舗の顧客が高齢化しているせいもあるので、クラスタでの特定は要調査。しかし何気にお客を観察すると、かなり共通項はある。
 
 ・ショルダーベーコンのパックを親指で押す(atスーパー)
 ・無料の脂身を指で潰す(atスーパー)
 ・手に取った缶コーヒーをシェイクする(atコンビニ)
 ・カシミヤのマフラーをつまむ(at衣料量販店)

買わないのにその売場/通路を通るなど、ホモ・コンシューマは無意識・有意識のうちに、さまざまなマーキングをしている。もちろん価格が安くなっていないだろうか?品揃えや在庫が減っているだろうか?といった実利的なチェックもあるが・・・。

【わたしのマーキング】
ひとつ白状しよう。わたしはある品(ワイシャツだっただろうか)が誰かに買われないように、ゴンドラの台の奧にぐぃっと入れて隠したことがある。「オレのだから買うなよ」という排他的な縄張り行動である。これは立派なマーキングである。でも他のフロアに寄ったあと戻って、買ったので許してほしい。

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店舗の配置換えや商品入れ替え、季節の変わり目のバーゲン、店舗のリニューアルなどは、いずれもマーキングを誘発する。店側の都合でやっていることだが、消費者は自分の縄張りが変わったとき、つぶさに何がどう変わったかマーキングするのだ

【マーキング行動を追尾する】
逆に言えば、ホモ・コンシューマのマーキング行動を誘発するような店作り、カテゴリーづくり、棚づくりをする必要がある。新製品導入という視点だけでなく、ホモ・コンシューマのマーキング行動パターンを研究してみてはどうだだろうか?

それに取り組める商品化はすでになされている。大日本印刷が開発した「ICタグ商品棚システム」はICタグを活用して、『来店客が陳列された商品を手に取る回数など、POS データでは把握できない購買前の情報を分析できるとともに、手に取った商品の情報を提供することもできる』仕組みである。
引用元  http://japan.internet.com/wmnews/20060913/5.html

   060912_1 詳しくは問い合わせされたい。  

こうしたシステムでのデータ分析と、店内顧客観察を合わせることにより、お客様の恥ずかしいマーキング行動がアカラサマになる。ここまでやると高コストと思われるなら、お客様に失礼にならないように、お客様を追尾して「棚別のオミマイ」を観察するのも明日へのヒントになる。わたしのアドバイスは「勝手にマーキングさせておけ。やがて落ち着く」であるが・・・。今日は以上です。

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