ありがたいけれど、ありがたくないニッポン
美人で脚線美で知的女優と言えば長澤まさみさん。女優の中で2番目か3番目に好きなのですが、その魅力が増幅したのが『台湾ドラマに初主演』のニュース。
台湾の連続ドラマ『ショコラ』。長澤の役回りは日本で生まれ育った華僑の音大生。彼女の中国語レッスンも佳境だそうです(スミマセン)。
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美人で脚線美で知的女優と言えば長澤まさみさん。女優の中で2番目か3番目に好きなのですが、その魅力が増幅したのが『台湾ドラマに初主演』のニュース。
台湾の連続ドラマ『ショコラ』。長澤の役回りは日本で生まれ育った華僑の音大生。彼女の中国語レッスンも佳境だそうです(スミマセン)。
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2011年6月23日正午、ハリー・ポッターの作者J・K・ローリング/J. K. Rowlingさんがウェブサイト『ポッターモア・ドット・コム(Pottermore.com)』を7月31日に開設すると発表した。当日はハリー・ポッターの誕生日だそうだ。
同サイトには物語の登場人物や舞台などについて新たな解説を掲載する。ローリング氏は、小説の続編を出すつもりはないと改めて強調しながら、サイト利用者がストーリーの重要な要素になると説明、「ポッターモアはあなたの参加によって構成される」と語った。世界中のファンから届く手紙に感銘を受け、「何かお返しをしたい」と思ったという。引用元
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“忍たま”にといえばらっきょうを思い出す。なぜか?忍たまには、らっきょうにちなんだエピソードがたくさんある。以前、らっきょうがらみの仕事をした時に調べた。
アニメの中で、らっきょうの話は「16話 ドクタマの来襲の段(らっきょう収穫)」「56話 好きなものを食べるの段(らっきょう炒飯)」「72話 学園長のかかしの段(らっきょうづくり)」など8話にのぼる高頻度の出現率。映画にもらっきょうが出てくるのかわからないけれど…。
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今日はビジネスメディア誠で連載する“うふふ”マーケティングへのリードです。
バーベキューがうまいのは自由になれるからさ
南の国の“バービー”ナイト
近年、広告メッセージを物語に乗せて発信する「物語マーケティング」が行われるようになっている。そこで筆者も、バーベキュー用具の魅力を伝えるため、オーストラリアのバーベキューパーティを妄想、物語マーケティングに挑戦することにした。続きはこちら
今週の連載には“コバヤシと後藤”を登場させてみました。このブログをちょくちょく読んでいただく人には(たぶん)お馴染みのキャラクターです。実体験とフィクションとマーケティングを混ぜつつ、わたしの“青春の総決算”をするために書き綴っている、オーストラリア第三の都市ブリスベンのジャパニーズレストラン “SAKURA”が舞台の話しです。
『SAKURAの春』 クイーンズランド州ブリスベンのダウンタウン、日本料理店SAKURAに漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。その失意と熱意と成長を描く物語。
こんな紹介文と共に、書き綴っているストーリー。08年11月から人物造形やストーリー展開を見直して“リライトシリーズ”として、3月2日までに25回にわたって書いています。全体で40回分くらいになるはずなので、半分ちょいです。お時間のあるときぜひ。
【小さくても長く続く化学変化】
今回コバヤシと後藤を登場させた理由はシンプルです。「たまには“チェンジアップ”を投げよう」というねらい。ちょっと前にビジネスメディア誠の編集部の方々とお話ししました。会議のテーマは「郷さんの記事がもっと読まれるように」というものでして(笑)。いやほんとうに優しい編集部の方々。涙ちょちょぎれてしまって。こんなわたしのために。
背景をちょっと。ビジネスメディア誠へのわたしの寄稿、比較的誰も知らない中小企業さんや個人の方を取り上げてきました。隠れた良品や、コアなファンが集うイベントにフォーカスしてきました。“誰もが知る大衆的で話題性のある”ものは少ないんですね。誠の編集長の吉岡さんが「ロングテール的な話題」とおっしゃっていましたが、まさにわたしはロングテール・小衆ライターであります。吉岡さん、ごめんなさい。
でもわたしなりの信念はあるし、いつか読者は増えると思いつつ書いています。その原点は、“ぐっときた人やビジネスや商品を書く”です。ぐっときたコアを(少しでも)伝えることができれば、タイムラグがあっても広がるはず。たとえ小さな駄文コラムでも、いずれハハン♪と思われるときがくる。社会の小さな隅っこで、小さくても長く続く化学変化が起きてほしい。文章力はうふふでもね。
とはいえ、“テーマが地味”なわたしの文に限らず、情報消費胃袋のウエブでは、どんな文でもまぎれがちです。誠の中でさえ、読者数がかなり増えて(連載開始頃の数倍のPV)、他誌からの転載エッセイが増えたので、わたしのはPVが稼げない現実があります。でも教科書的なマーケティング話題でPV(だけ)をかせぐヤカラになりたくない。そんなもん書けんし嫌いだし、結局自分の“書く目的”を見失います。そこは信念なので、PVとのバランスを悩むわけです。
そこで“新PVアップ作戦”をやろうと。伝えたいことの描き方(例えば物語)や、メジャーな商品/サービスでも切り口に“チェンジアップ”を入れたいと思います。今回のバーベキューグッズも相棒cherryさんからのご推薦が元です。それにオーストラリアやワーホリというエッセンスを振りかけてみました。ウフフと読んでいただければ幸いです。次の連載も読者サービスの増量をはかります。どうぞよろしく。
【青春と青春後の心をはきだす=“SAKURAの春”】
さてコバヤシと後藤、これからどこにゆくのでしょうか?よくあるビジネス読み物のようにコンセプト伝達のための“ビジネス紙芝居”にはしたくない。もっとコバヤシや後藤の青春を描きたい。文学やビジネス読み物の敷居を踏み越えて、彼らに寄り添って書きたいと思います。どうぞよろしく。
前に勤めていた会社の重役が、ゲリラ的にブログを書くわたしの文を読んでいてくださり、さらに『SAKURAの春』がおもしろいと言ってくださったことが、ちょっと心の支えになっています。文章造形はヘタでも、あのときの青春と青春後の今の心をはきだしたい。そんな感じですかね。今日は以上です。
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昨日に引き続き豪州ブリスベンのダウンタウンの日本料理店『SAKURA』に漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。SAKURA2号店をめぐる失意と熱意と成長を描く“マーケティング・エンターテイメント”の25回目、いよいよo'bento-boxのランチ、“Tabe-hodai”アイデアを試すときがきました。23回目までの全文掲載はこちらです。
********************
後藤と訪れた敵情視察のあの日以来、始めてKOTOに来た。駐車場に元気な老馬を停め、ランチが終わり「Closed」というプレートのかかる扉を開けた。照明が落ちて薄暗い店内だった。わたしの声が店内に吸い込まれた。
「こんにちは、Good Afternoon!」
「お待ちください!」と奥から声が聞こえ、やがてダンボール箱をかかえたKOTOの堀田店長が現れた。わたしは駆け寄ってそのダンボール箱を支えた。
「ざっと20個ぐらいかな。ウチでも行事とかケータリングにしか使わないから、しばらく使ってくださって結構ですよ」堀田店長が言った。幕の内弁当用の容器を借りれませんかと電話で頼んだ。堀田さんは心よくお貸ししますよと言ってくれた。
堀田店長に“Tabe-hodaiランチ”のアイデアをかいつまんで説明した。うんうんとうなずいて聞いていた堀田は言った。
「おもしろいんじゃない、それ」
「ありがとうございます」嬉しいひと言にわたしは頭を下げた。
「オーストラリア人に来てもらうプランだ」
「はい。でもターゲットを決めて発想したわけではないんです。お弁当から始まる日本食、ニッポンを自由に詰められるんだって、それっておもしろそう!そんなノリでいいと思っているんです。お箸を持てないオージーも、ヘルシーな日本食がねらいのオージーも、大食のオージーも、分け隔てなく来てもらおうと」
「なるほど。失礼だがSAKURA2号店くらいのお店では“日本食をこう食べなさい”と押しつけるのはムリだしね。日本人の接待をねらってもダメです。かといって旅行客をねらう立地じゃないし、駐在員のファミリー層だけをねらうのでは経営は立ち行かない。オージーに日本食を伝えるのをビュッフェスタイルにする。それをお弁当箱にするのは、彼らの興味をひくよ。obento, What?と思う。いろいろな日本料理を日替わりで提供するんでしょ?」
「はい。毎日2〜3品を用意したいと思います」わたしは自分の顔がほころんでいるのを感じた。「おかずが足りなくなれば、作り足せるので、ロスも少なくできるかなと」
「おかずを選んで、自分たちでお弁当に盛り付けると、食べながら日本食の成り立ちも学べる。客さまに自由にさせることで、逆に“こう食べるものですよ”とセルフスタディする計算だね」
わたしはうなずいた。
「お客さまのターゲットをオージーにして、日本への関心をかきたてる。和食のバラエティを広げて飽きさせない工夫がある。お弁当箱というセルフサービスで日本を感じる。気取らずに和食、いいじゃないですか」堀田店長が総括した。
「ありがとうございます」わたしは敬礼するようにおじぎをした。日本食にはもちろん決まりはあるけれど、お客さまは自由になりたい。店が窮するあいだ、わたしたちは“自分たちに振り向いてほしい”ことばかり考えてきた。だがそれは違う。伝えたいことをしっかりさせて、それをかたちにしないとダメなのだ。かたちになって初めて理解しようとしてくれるのだ。
******************
引用元
わたしひとりひとつずつ段ボールを抱えて運んだ。KOTOのエントランスへの通路に一枚の書の額があった。前に来たときには無かったような気がする。
「これはブリスベンに移住した書の師範に書いてもらったんです」堀田は壁にかかる横長の書の額を、顎で指した。「せっかくオーストラリアに居るのだから、日本のことをできるだけ伝えたいから」
「3つの“とぶ”の文字なんですよ」良く見ると“とぶ”という文字が3つ並んでいる。跳ぶ、翔ぶ、そして飛ぶだ。
「最初の跳ぶは、はねるという意味です。オーストラリアの跳ねる動物ーカンガルーやワラビーをイメージしました。私たちはここオーストラリアにいるんだ。まず、ここで跳ぶことを考えようとね。ふたつ目の翔ぶは、羽根を広げるという意味です。跳ねるばかりでなく翼を広げたい。みっつ目の飛ぶは、広げた翼で空高く舞い上がりたい。オーストラリアと日本を同時に見渡せるような高さまで。そんな意味をこめたつもりです」
わたしたちは何かたいへんなことがあると、上下にとび跳ねて“たいへんだ、たいへんだ”と言い勝ちである。その場で飛び跳ねてもラチが明かない。まずその場所にしっかり立ち、あたりをもう一度見回そう。漂っている空気を、両手を広げてかき寄せてみよう。空気の分子のまん中にある“核”を見つめてみよう。お客さまと自分たちの“ほんとうの姿”がある。そして広げた手で勇気をだして飛ぶ。やるしかないじゃないか。わたしは段ボールのTabe-hodai容器をFiatの後部座席に載せて、運転席に座った。すると後ろから声がした。
「コバヤシさん、ランチはこれでいけるかもしれないけど、夜のことも考えないといけませんよ」
確かにディナー対策まで頭がまわっていない。ランチのことだけで手一杯だ。しかし問題はひとつずつ片付けるしかない。わたしはディナーのことを心の隅に置いた。
******************
自分で書いていて自賛するようで赤面なのですが、わたしはコバヤシや後藤のフレーズに励まされることがあります。苦しいとき助けてくれるのは、誰かの支援であり、そしてことばです。ことばとは先輩の批評であり、友人の激励であり、多くの潜在的なファンとのテレパシーです。想いや願いは空気伝染する。その伝染力は鳥インフルエンザより強い力を持つ。そう信じています。今日は以上です。
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豪州ブリスベンのダウンタウンの日本料理店『SAKURA』に漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。SAKURA2号店をめぐる失意と熱意と成長を描く“マーケティング・エンターテイメント”の24回目、いよいよo'bento-boxのランチ、“Tabe-hodai”アイデアを試す新シリーズです。まずは幕の内弁当箱の調達から。SAKURAの春の物語、ついに折り返し地点。23回目までの全文掲載はこちらです。http://sakura-no-haru.cocolog-nifty.com/
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長い一日が暮れた。わたしはアパートに向かって老Fiatを運転しながら考えた。
『ニッポンの弁当箱で、好きなニッポン料理を、Tabe-hodaiで食べられる』
これがTabe-hodaiランチのコンセプト。まず日本料理へのSIKII(敷居)を低くしたい。低くする手段のひとつが彼らにとって新奇な“お弁当箱”だ。日本人になじみ深いお弁当箱で、日本食の一端を知ってもらう。お弁当箱に、あなたの好きなものを詰めてくださいという“カジュアルなおまかせスタイル”にして、和食の作法を堅苦しく言わない。まず楽しみながら“参加してもらう”ことに徹する。何度か来てくれれば、日替わりのおかずで日本食の通にもなれる。日本食の食べ方も広まる。
わたしは日本料理店KOTOの店長堀田が言ったことを思いだした。
「KOTOのねらいのひとつは、日本食を伝道することです。高級イメージの
日本食レストランにやって来る現地のお客さまは、さまざまな分野のリーダー
クラスの方々です。彼らから正しく日本食を広める、彼らのステータスに
あった格の店舗をつくる。それに相応した味とメニュー、味、サービスを
提供する。これがひとつのねらいです」
高級志向のKOTOだから店格を高めて、オーセンティックな和食のスタイルを提供する。だがわたしたちのSAKURA2号店は違う。もっとエブリデイな和食を伝えたい。堀田はKOTOのもうひとつのねらいを語っていた。
「もうひとつは逆に、現地の食スタイルと融合させた日本食スタイルを
創造することです。現地のお客さまがどういう食べ方で日本食を食べると
幸せなのか、日本食の何が好まれ、何が好まれないか、どんな香りが好まれ、
どんな食感が好まれるのか。現実にお顔を拝見しながらデータを蓄積して
いるわけです」
KOTOの親会社は調味料製造会社。だから現地の食事情、食生活、好みをリサーチする役割もになう。重要なのは現地の食スタイルと和食をどうやって融合させ、広めること。和食はこうじゃなきゃダメだと言い張って押し付けるのでは、味による侵略戦争と変わらない。伝統をかたくなに守る旧主な料亭と変わらない。だがその地その地で歴史も違えば風土も違う。自由を重んじる国柄なら自由に。格式を重んじるなら伝統を。
オーストラリアは他民族の移民の国であり、原住民が呼吸をする国。それぞれの民族が自前の文化を持ち寄って、乾いた大地を耕し、緑を植え、花を咲かせ、地球上にここにしかいない奇妙な動物たちと共に生きる。認め合い、広め合う気持ちがあるのだ。敷居を低くして文化を語れば、きっとわかってくれる。
2日続けてスコールの後の空は、どこまでも澄み切って、宇宙の向こうまで見通せるような気がした。
******************
翌日のランチの終わりの時間、SAKURA本店のシェフKIMさんに電話をした。彼は「コバヤシさん、ゲンキですか?」と片言の日本語で電話口に出てきた。
元気な声からすると、やはり昨日が体調不全だったというお休みの理由は口実だったようだ。たまにはMr.Tの抑圧環境から離れたいのだ。KIMのせいでケータリングに駆り出されたのだが、それがきっかけでランチのヒントを得た。何が幸いするかわからない。わたしは理由は述べずに、本店に幕の内弁当容器がいくつあるか、それをしばらく2号店に貸してほしいとお願いした。
しばらくしてKIMが電話口にもどってきた。15個なら貸せるということだった。15個か。15個では足りない。全座席を一回転もできないのだ。それでも無いよりはマシだ。ありがとうと言って電話を切った。Mr.Tがいない時間を見計らって借りにゆこう。
「15個しかないそうだ」わたしは後藤に言った。
「それじゃあ一回転もしないなぁ」後藤はため息をついた。「日本で買って取り寄せられないかな?」
「ふたりで自腹を切るか?」Mr.Tが成功するかわからない実験に投資するとは思えない。
「いいよ。ハラ切りよりマシだ」
「違うよ。空手だから手刀切りだ」わたしは後藤の首を斬り落とすマネをした。「だが日本に注文してもいいが、来るまでに何週間もかかる。自腹切っているあいだに、オレたちはハラ切りだ」
私たちはふたりともうつむいた。せっかくのお弁当箱アイデア、ボツに終わるのだろうか。わたしはしゃがんで頭を抱えて、う〜んと唸った。後藤はナイフを取り上げて、その背でまな板をコンコンと叩いた。唸り声とコンコン音、まるで読経中の木魚を叩く坊主のようではないか。
「いっそのことー」後藤が言った。
「いっそのこと?」わたしは彼のことばに期待して頭を上げた。
「敵にお願いしてみたらどうだろうか」後藤は紙ナプキンを取り上げて、ボールペンで4文字のアルファベットを書いた。
「そうか。それがあったな」解決策のヒントはいつも後藤からやってくる。「よし頼んでみよう」
******************
わたしはTabe-hodaiランチのメニュー案やテーブルの配置案を後藤たちに考えてほしいと告げて、調理着を着替えて裏口の扉を開けた。午後のまぶしい日差しが刺さった。商業施設の建物沿いに狭く連なる日陰をつたって、ひとり駐車場に向かう。気温が上がってきた。35度、いやきっと40度ありそうだ。サンシャイン・ステート(クィーンズランド州の愛称)らしい日だ。 駐車場のFiatもからだ中でサンシャインを吸収していた。ドアには熱くて触れないほどだ。平らなボンネットでは鉄板焼きができそうだ。こんな日にイグニッションを回すのは気が引けた。
だがわたしがキーを回すと一発で滑らかにエンジンを轟かせた。まるで“乗ったか?早く行こうぜ”とエンジンが語りかけるように。ミッションを入れて走り出す。駐車場から道路に出ようと一時停止すると、目の前を“ドアの無い車”が一台走り去った。ここは車検がないのでドアが取れていても走れるのだ。シートベルトさえしていれば、警察もそれほどうるさく言わない。ドアがないと涼しそうだ。老Fiatは車の流れにのった。この気候ならいつも水温計がぐっと上昇し、オーバーヒート気味になるのだが、だが今日はゲージが一定ラインをたもつ。静かに燃えているようだ。そして、行く先はKOTO。
********************
この話し、明日も続きます。今日は以上です。
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豪州ブリスベンのダウンタウンの日本料理店『SAKURA』に漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。SAKURA2号店をめぐって失意と熱意と成長を描く“マーケティング・エンターテイメント”の23回目です。ニッポン食の立食パーティから、青年コバヤシは何かヒントを得ました。22回目は数日前に掲載、21回目までの全文掲載はこちらです。
all you can eat Japan 7/7 *********************
「本格的な日本食を気軽に味わってもらうランチ、っていうのがコンセプトだから」
翌日のランチを片付けたあと、麗朱とワンダ、後藤をテーブルに囲んで昨日のアイデアを説明した。
「all you can eatですね」ワンダが言った。それは英語で食べ放題のこと。
「フリーランチのときの点心(dianxin)みたい」麗朱も言った。
「そう、フリーランチのときの小皿と同じ。まずテーブルで注文を取る。おかず3品まで10ドル、4品で12ドルとか量で区別してもいい。お客さんが取り皿を取り、こっちから好きなおかずを何品かとっていく。それで席につく。お味噌汁はこぼすと危ないから、麗朱とワンダに運んでもらう」
「料理をよそうのは取り箸ではムリよね」麗朱が言う。
「そうだな。料理をつかむトングが必要だ」とわたし。
「サラダとか魚はいいかも知れないが、でも豆腐はどうすんの?」と後藤が訊く。
「日本料理なのに大きなスプーンですくわけにはいかないわね」麗朱も言いかえした。
そのやりとりを聞いていて、わたしは昨日のケータリングのときのことを思った。
「そうだ、オレか後藤がシェフとしてホールに出て、料理をサーブするサポートをすればいいんだ。並んでもらって、これとこれと決めてもらってサーブする」
「料理を説明するシェフみたいで、かっこいいな」後藤が微笑んだ。
「大食いが来ても赤字にならないわね」と麗朱も言った。
後藤かわたしのどちらかひとりが厨房に残れば、足りなくなった料理を足す準備をすることもできる。そうすれば天ぷらや刺身も調理することができる。良いことづくめのように思えた。
なぜかワンダだけ、ことばが少ないのが気になった。
「ワンダ、どう思う?」わたしは訊いた。
ワンダは考え深げに言った。「This is nice idea、だけど…」
「だけど?」
「どこか、Nipponがないです」
後藤と麗朱とわたしは、ワンダをみつめた。わたしが訊いた。「Nipponがないって?」
「はい。Nipponらしさ、ないです。オーストラリアにもAll you can eatあります。料理は違うけれど、それと似ています」
彼女が言うにはall you can eatは大食漢のためのものというイメージがあり、必ずしも良いイメージがない。日本食をいろいろ食べられるのは楽しいけれど、どこか違いをつけないとダメだと。さらにSAKURA2号店のランチは、ご飯、お味噌汁、メインディッシュ、小鉢を別々にウェイトレスがテーブルまで運んでいる。結局それと変わり映えしないなら、ウェイトレスの労力を削減したことにしかならない。価値もないばかりか、逆にサービス低下だけを印象づけてしまうというのだ。
わたしは唸り、後藤は腕を組み、麗朱はうなだれた。ダメなのだろうか。わたしは椅子から立ち上がり、店n窓から外を見た。窓枠からの空を見上げると、また昨日と同じような雨雲がやってきていた。今日もまたスコールなのだろうか?
ふと昨日、ミセスTが話していたことばを思いだした。
“こんな雨が降るなら、お弁当にでもすればよかったわね”
「お弁当があるじゃないか!」わたしは振り向きざまに言った。声が上ずっていた。3人は怪訝な顔でわたしを見つめた。「日本のお弁当箱を使えばいいんだ」ミセスTがどしゃぶりの中、ケータリング料理を運び込むときに、お弁当箱なら濡れないとつぶやいていた。
わたしは席にもどり、ランチのプランを描いていたエプロンに、新たに四角い箱の線を引いた。中に仕切り線を引いて、仕切りの中にマルやシカクを描いた。
「コバヤシさん、マルバツ書いてるの?」と後藤が笑った。
「下手で悪かったな」わたしは苦笑いして、マルバツゲームと揶揄された仕切り線の内側に“rice” “main” “side” “oshinko”などと文字を書き足した。「お弁当箱ならご飯もおかずもお新香もひとつになるじゃないか」
「オベントウ・・・箱?」ワンダは言った。
「Lunch Boxのことだよ」と後藤が言った。「ほら本店には幕の内弁当箱があっただろう?仕切りがあって、ここはご飯、ここはおかず、と分かれているボックスだよ」
「マックゥ・・ノウウチ、ですね」ワンダが思いだしたようだ。
「ノンノン。マ・ク・ノ・ウ・チ・ベ・ン・ト・ウ。はい発音して」またしても後藤の日本語発音レッスンだ。
「発音練習は後でいいよ」わたしはそれを遮った。「幕の内なら、内側に仕切りがあるから、どこに何を詰めるか写真でガイドもできる。ここはご飯、ここはメインディッシュ、ここはお新香とね」
「それはいいです。これならnipponがあります」
今度はワンダも賛成だ。わたしはほっとした。
「おかずの場所を2カ所として、メインとサイドメニューを3つ用意すれば、これとこれを少しずつって取れるな。そりゃいいや」後藤も気に入った。
「ご飯はいっそオニギリにしたらどうかしら?」麗朱が言った。
「幕の内弁当といえば俵型オニギリだね。あれならオージーも食べやすい。賛成!」後藤がそういうとワンダは怪訝な顔をした。
「tawaragataて何ですか。わかりません。onigiriはわかります」とワンダ。
「俵型のオニギリはね」わたしが俵型オニギリの絵を書こうとすると、“コバヤシさんの絵じゃね”と後藤に止められた。不本意だがうまく描く自信はなかった。
「nipponのお弁当箱に、好きなnippon料理を食べたいだけ食べられる。日本食の種類や食べ方の勉強になるし」と麗朱。
「お店にもメリットあるよ。あのサイズ以上はたくさん詰められないから、損しない」後藤の言うのももっともだった。
引用元
「これならSIKII GA HIKUI(敷居が低い)かな、ワンダ?」とわたしが訊くとワンダはうなずいた。
「はい。much much lower(とても低い)」ワンダはにっこりした。「後藤さん。nippon語でall you can eat、なんていうんですか?」と訊ねた。
後藤のひと言。「Tabe-hodai(食べ放題)」
「Tabe-hodai。ランチの名前、それでいきましょう!」ワンダがネーミングを決めた。
(all you can eat Japanの項、終わり。話しはランチへの挑戦へ続きます)
********************
今夜はあるクリエイターさんと一緒で、ブログのアップが遅くなりました。空を見上げると、明日は晴れそうです。コバヤシのようにじっくりとがんばりたいなと思います。今日は以上です。
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豪州ブリスベンのダウンタウンの日本料理店『SAKURA』に漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。SAKURA2号店をめぐって失意と熱意と成長を描く“マーケティング・エンターテイメント”の22回目です。ニッポン食の立食パーティから、青年コバヤシは何かヒントを得たようです。21回目までの全文掲載はこちらです。
all you can eat Japan 6/7 **********************
SAKURA本店で荷を下して、ようやくお役ごめんとなったわたしは、スコールの中もひとりで待っていたFiatの元に帰った。老車は雨上がりの夜空につやつやしていた。このまま帰るわけにはいかない。後藤と今日のことを話したかった。2号店のある商業施設の駐車場まで着いた頃、すでに時計は9時半をまわっていた。車のドアを閉め空を見上げると、星明かりで空が群青色に見えた。突き抜ける希望の色に思えた。街灯よりも星明かりの方が明るいほどだから。
引用元
裏口から厨房に入ると後藤が厨房の片づけをしていた。
「おつかれ、コバヤシさん!」
この時間で早くも店じまいか。わたしは彼が口頭で伝えた今夜のディナーの少数の組数に落胆せずに、洗い物を済ませてからちょっと話そうと言った。後藤はうなずくと洗い物と残りの掃除にかかった。
わたしは厨房の食器棚の扉を開けた。お湯呑み、ご飯茶碗、味噌椀、大小さまざまの和風の皿、小鉢類、全長70cmもありそうな木製の舟形の刺身盛り(SAKURA2号店ではほとんど使われることのないシロモノだ)、塗り箸、ワイングラス、ビヤグラス…。本店から持ってきた品ばかりだ。使えるものもあるし、使えないものもある。ランチのヒントをやるにはまだ足りない。
わたしは紙エプロンを一枚取り、ホールのテーブルに腰掛けてそれを広げた。これがわたしの戦略スケッチシート。破けないようにボールペンで店の見取り図を描きだした。
「何か思いついた?」後藤は両手の水分をエプロンにこすりつけながらやってきた。
「ちょっと聞いてほしいんだ」わたしはコリコリと紙エプロンに線を引きながら考えをまとめようとした。店舗を上から見て、テーブルを3台ほど壁ぎわに寄せ、その上に◯や□を描いた。
「なんじゃそれ?」後藤はゲラゲラ笑った。「テーブルに上におでん?」
「だまれ」
絵がヘタだといわれようといいのだ。壁際にテーブルを寄せ、その上に取り皿やお茶碗やお椀を重ね、炊飯器をずんと置き、おかずをのせた大皿やプレートを並べた図を描いているのだ。
「脇に寄せたテーブルの上の、四角や丸のおでんは何?」
「これは取り皿の丸、炊飯器は二重丸、これはおかず、これもおかず」そんな説明をした。
「ホント、絵、ヘッタですね、コバヤシさんて」
そう言われても気持ちが入っているわたしは、後藤のことばを無視して、客席テーブルを描いた。
「今日のケータリングは、あれこれ食べられる立食パーティだった。寿司、刺身、焼き魚、お新香、茶碗蒸し・・・。楽しそうに食べるオージーの姿を見て、これかなとひらめいた。要は食べ放題さ」
「ふうん、いわゆるバイキングだよね」
「そう。器を自分で取る。ご飯やおかずを自分で盛りつける。そうすると日本食に親しみが湧くと思うんだ」
「親しみが・・・湧く?」
「うん。オーストラリアの人は、まだ日本食の食べ方をよく知らない。この前のフリーランチでもそう言っていただろう?これ何かな?どうやって食べるのかな?と。分からないから手を出しにくいんだ。だから、日本食のしきたりは取っ払って、好きなものを好きなだけ食べてもらうんだ」
わたしはエプロンの上に日本食の絵を書き出した。
「今日のランチは肉豆腐、明日は和風サイコロステーキ、明後日は焼き魚といった感じで、メインディッシュは日替わり、サイドメニューは1週間同じにする。ひじきや切り干し大根とかお新香とかね。1週間毎日来ると、日本料理ってこんなものだ、日本料理のバラエティの広さ、味の多彩さに気づいてくれるだろう?」
「オージーは毎日はこないよ」後藤は苦笑した。「ひと月に1度来るか来ないかの人ばかりなんだから」
「そうかもしれないけれど」わたしは怯まなかった。「バイキングでいいことは他にもある」
「何よ?」
「自分たちでよそうから、ウェイトレスは、料理の説明や水のサービスと後片付けだけで済むからラクになる」
「それはそうだな。ウェイトレスがどんな味だとか、どうやって食べるだとか、ガイドができるね」後藤は賛成した。
「うん、食べ方を書いた紙を用意してテーブルに配ってもいい」
「お箸の紙にあるhow to use chopsticksのように」
悪くないアイデアだ。だが欠点も見つかった。大食漢ばかりがバイキングにやってくると赤字になる。それはお皿の数をひとつにするとか、盛りつけを一度にするなどで対応できる。温かいものを提供するのはどうするか。揚げた天ぷらを並べておくことはできないので、オプションで注文を受けようか。お味噌汁も自分で運ばせるのは危険なので、ウェイトレスの仕事とする。
エプロンは次第にくしゃくしゃになっていった。単純だが、あんがいいけるかもしれない。
今日はこれで十分。そろそろ10時半だ。もう引き上げよう。いたずら書きしたエプロンを折畳んで厨房においた。後藤とふたりで裏口から店を後にした。長い一日が終わり、月光が差してきた。それは、いずれ朝日のあかりに変わるさ。
********************
新規事業というものに関わった方なら分かる。それは晴れの日、曇りの日、雨の日、暗黒の日。まるでバイオリズムのように波打ってやってくるもの。めげるな自分、おごるな自分。上司よ、ホンネを話せよ。部下よ、何を考えているんだ。こんな心理戦が毎日、毎日繰り広げられて、それにめげずにやり抜く。それが新規事業です。
わたしは実業としてそれをしたし、虚業(調査業やコンサル稼業)でもそれとつき合ってきました。だからわかる。携わった人の孤独、焦り、嘆き、そして喜びや連帯心。どんなに小さい事業でも、それはドラマですよ。わたしは一生それを追い求めていきたい。今日は以上です。
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豪州ブリスベンのダウンタウンの日本料理店『SAKURA』に漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。SAKURA2号店をめぐって失意と熱意と成長を描く“マーケティング・エンターテイメント”の21回目です。ニッポン食の立食パーティが始まり、オージーたちの歓談が始まりました。ふと見るとミセスTがいない。パーティ企業の玄関先で、コバヤシはミセスTと始めてじっくり話します。
昨日20回目までの全文掲載はこちらです。
*************
「他のワーキングホリデーの人たちは、みんな逃げ出すだけ。Tの拳に脅されて消えるか、ほんとうに殴られていなくなるか。でもあなたと後藤さんは立ち向かっているわ。これまでそんなワーホリの人はいなかった」ミセスTは右手で髪をかきあげた。
「空手ブームが過ぎて道場の経営が思わしくなくなったとき、Tは日本料理をやろうと言い出したの。まだブリスベンにはまともな日本料理店がひとつもなかったから、チャンスだろうと思ったのでしょうね。わたしは賛成しなかったのよ。スポーツ選手がレストランをやるのも、やって失敗するのもありふれているでしょう?それにこんな四季がなくて、暑いところで、日本料理なんてわたしは反対だった」
わたしは何も言わず聴いていた。
「凝り性だから日本の知人のツテを頼って学びにも行ったけれど、本格とはいえないわね。しかも彼がやろうとしたのはオーセンティックな日本料理。日本人シェフを雇うのは高いし、チームで動くから結局あきらめたの。しかもこっちで日本の食材コストはとっても高いから、現地のエリート日本人相手になるでしょ。シドニーやメルボルンに比べてここは日本人が少ない。うまくゆかないと思ったの」
「でもうまくいった」わたしは口をはさんだ。
「それはね、未開の地で先頭を切るのがTの得意技だったからよ。ひとりでブリスベンにやってきたとき、空手道場はひとつもなかった。だから空手とは何か?を普及させることから始めなきゃならなかった。“Strong enough, Mate?”なんてスローガンをつくって、君は強くなりたくないのか!と打ち出したのね。ちょうど格闘技ブームが追い風になった。道場は繁盛したわ。ブームをあてこんで後からできた道場を蹴落とすため、道場破りのようなこともしたしね」ミセスTは小さく笑った。
わたしは心の中でうなずいた。
「Tはコンプレックスをバネにしてきたの」
彼女は2本目のマールボロに火を点けて、ふぅっと吐き出した。「強くなりたいと思う人ほど、コンプレックスが強いのね」
わたしはからだの内側でうなずいた。
「最初は日本の地方都市で小さな道場を支部として開いたの。そこで入門者も集めたけれど、しょせんは本部の支部。本部のブランドで生徒が集まっているだけだ、オレ自身の力じゃない、オレにはもっと何かできるはずだと思っていたの。自分は一番になれる、ならないと気が済まない。それで南半球の空手未開の地にチャレンジしたのね」
「SAKURAも同じなの。ブリスベンではまだ本格的な日本料理がなかったから、一番になれるチャンスがあると思った。これが日本料理だと言い切って、突き進めさえすればよかった。運がよかったのよね」
「待っているだけでは運はやってこない」わたしは、彼女にも自分にも言うでもないセリフを口した。
「そのとおり。正しいと思ったことをし続けないとダメよ」マールボロの煙の中で彼女が続けた。「でもほんとうに日本料理を現地に広めようとすると、壁があるわ」
「オージーに日本食は“敷居が高い”と言われました」わたしは言った。
「そうねえ。SAKURA2号店では日本人相手だけではお客さんが足りない。何とか敷居を低くしてオージーに食べてもらわないとだめね」彼女はわたしを見た。「期待しているのよ、あなたたちに」
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わたしたちはケータリングの会場にもどった。味噌スープを振る舞いながら、日本食を楽しむオージーたちを見ていた。SAKURA2号店では見かけたことがないオージーたちの表情がある。Raw Fishが嫌いな人は巻き寿司を食べ、バラマンディのローストでお箸の使い方を学び、茶碗蒸しの具をスプーンですくい、しげしげと見つめる。味噌汁をスープスプーンで飲む人がいるのに閉口したが、まあそれもいいかなと思った。彼らにとってはスープなのだ。
彼らは日本食を自分たちなりに楽しんでいる。それが幸せな顔の素だ。
会場から皿や什器を積み込んだMr.Tの運転するCommodoreワゴンに揺られ、わたしは“何かがやってきそうな”胸騒ぎを覚えていた。ゆっくりと今日あったことを考えた。車の窓の外の夜空を眺めた。スコールの雨風は空一面の雲をすっかり吹き飛ばして、星のキラキラした灯りが道を照らしていた。
“こんな雨が降るなら、お弁当にでもすればよかったわね”
ミセスTのことばを思いだした。
「手でつかんで食べていいのか?」とあるオージーが訊いた。
わたしは「No worries」とカジュアルな豪州英語で返した。
「食べる順序はどうなんだ?」別のオージーが訊いた。
わたしはこう応えた。「食べたいものを食べるのでいいんです」
ミセスTは言った。
「Tはコンプレックスをバネにしてきたの」
まぶたを閉じると、未熟な箸さばきで、小皿からこぼれ落ちた寿司ボールが思い起こされた。オージーには日本食へコンプレックスがあるんだ。どう食べたらいいかわからない、どう口に入れたらいいかわからない。そこを気づかせてあげて、自由にさせればいいのだ。どうやらランチのアイデアの尻尾をつかんだ。
(続く)
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今日の回に出てくる“Mate”ですが、親しみを込めて“おまえ”とか“なぁ”というような、オーストラリア独特の言い回しです。今や古めかしい言い方で、あまり口にする人はいないでしょう。わたしが放浪していたずっと昔、『XXXX』というビールのCMのソングがありました。その歌は今でもしっかり覚えています。
しっかりがんばらなきゃ。今日は以上です。
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豪州ブリスベンのダウンタウンの日本料理店『SAKURA』に漂着したふたりの若い日本人、コバヤシと後藤。今日はSAKURA2号店をめぐって失意と熱意と成長を描く“マーケティング・エンターテイメント”の20回目です。前回は立食パーティの始まりのところまででした。16回目までの全文掲載はこちらです。
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ビールやワインでの乾杯が終わり、手にお皿を持つ人びとが入れ替わり立ち替わり、寿司や刺身の盛り合わせに群がった。箸が手につかず、お寿司を取れなくて“Ouchi!”などと聴こえてくる。
引用元
わたしは寿司をお箸でつかめないオージーの代わりに、手で皿に分けてあげた。もちろんまな板に布巾という演出をいれながらだ。オージーたちは「Thanks」と言い、わたしは「No worries」とカジュアルな豪州英語で返した。
「手でつかんで食べていいのか?」あるオージーが訊いてきた。
「OK。箸でも手でもどちらでもいい」わたしは指で寿司つまむ格好をして、それを小皿の醤油を入れた小皿にとんとんとドリップさせる仕草をした。「醤油はNot so much。箸が使えるなら手を汚さなくてすみます」
そのオージーは言われた通りの仕草でツナを取り上げて口に入れてニッコリした。見ていた回りの人びとがなるほど言うようにうなずいて、真似をした。食べ方がわかるサラダばかり盛りつけている人も見える。
「わたしも箸がつかえないんだが」申しわけなさそうにあるオージーは言う。
「No worries。ナイフとフォークでもかまわない」とわたしが答えた。
お箸にトライしていた女性社員のお皿から、“寿司ボール”(にぎり)が落ちた。どっと笑いが起きて、彼女は残念そうに首を振って微笑んだ。
「食べる順序はどうなんだ?」別のオージーが訊いた。
わたしは“今日のような料理では”と前置きをしつつ、まずサラダボールの前に行き“salada”、そして刺身の皿の前に行き“entrée”、それから“Sushi”というように説明をした。こう付け加えた。
「食べたいものから食べるのでいいんです」
異国の日本料理、異国の人びとなのだから、楽しんでもらえればそれが一番だから。作法をうるさく言わなくてもいいじゃないか。オージーたちはわさびも見よう見まねで刺身につけて、Oh!という声を出している。そんな声が聞こえてくるのが楽しかった。
お箸も取り皿も瞬く間に減っていき、刺身も寿司もあっという間に減ってゆく。素人に毛がはえたようはワーキングホリデーのシェフの作ったものにこんなに喜んでくれるのだ。わたしはひそかに胸を撫で下ろした。
ふと見回すとミセスTはどこにもいない。Mr.Tに置いてけぼりにされた時は彼女と一緒か、と思ったが、いないとなると寂しくなる。ダウンアンダーに流れ着いたた少数民族の同朋の心だろうか。会場の部屋を出て、エントランスの前を通り過ぎた。ガラスのドアの向こうには、さっきのスコールが嘘のように晴れ渡り、オレンジ色の夕焼けが広がっていた。わたしはドアを開けて外の風を感じた。スコール後の湿気に満ちた空気が顔にあたった。心地よかった。
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エントランスの外にミセスTがいた。ベンチに腰掛けて足を組み、ゆったりとマールボロから煙を吐く。美人のアンニュイなタバコほど絵になるものはない。
「ごくろうさま」 こちらを見ずにミセスTは言った。
「いいえ」わたしも彼女の方を見ずに、雨上がりの空にたなびく、オレンジ色の綿菓子のような薄い雲を見上げて、う〜んと伸びをした。
ミセスTは灰皿にマールボロを押し付けて消して言った。「しっかりやってね」
わたしは彼女の顔を見返した。「何のことですか?」
「ちょっと見直しているのよ」ベンチに腰掛けるミセスTは調理着の両足の伸びをした。(続く)
引用元
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今宵は前の勤め先の会社での仕事経由で知り合えた方々と懇談していました。いずれもべースはコンサルタントの方々で、今の大不況について、それがいつ終わるか、その後何が起きるか、そのとき何をしているべきか、そんな話しをしました。
いろいろな話しの中からひとつ挙げると、“コンサルティング”という仕事。もう成果がわからないコントラクト形態は成り立たない。なぜならこれから暫く、メーカーであればワークシェアリング、ライン稼働停止が続く。それを見通し、そのあとのビジネスモデル改革まで、一貫させた指導力が求められる。だから契約コンサルタントがやるべきことはひとつ。“チェンジ”の成果の約束です。サラリーマンのコンサルタントではそんな約束がしきれないわけです。サラリーマン・コンサルティング会社となぜコントラクトを求めるのか?ここにもパラダイム変化が訪れます。今日は以上です。
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